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2021年8月13日

仲間

見浦牧場の牛の飼育方法は群飼育と言います。

ここ中国山地では、昔から役牛 (トラクターなどの代わりに仕事をする牛) として和牛が飼われていました。私も子供の頃は牛を使って田んぼを耕していましたから、7- 80年前も前の話です。その頃は1頭毎の牛房(牛の部屋)が一般的でしたが、大畠 (見浦牧場の古い屋号)では大きな牛小屋の柱に何匹も繋いで飼う大駄屋 (おおだや) と呼ぶ古い方式でした。窓も換気口もない部屋にハナグリ(鼻輸)で繋ぐのですから、 非牛道的(?) な飼い方でしたね。おまけに踏み込み式と称して、草やわらを放り込んで行く、1年に一回冬の積雪を利用して、敷料や糞を田んぼに運ぶと駄屋の底が低くなってね、それまでは刈草や牛の糞で牛小屋の底が高くなって見上げるようになる、そんな環境の牛は、今考えると悲惨でしたね。

それを今から60年ばかり前に、群飼育方式の一貫経営に切り替えたのですから大変で、次から次へと新しい出来事の連続、今までの知識は全く役にたたず、試行錯誤の連続でした。周辺の農家が「わしらーも、昔は牛を飼うとったけー、 素人の見浦とは違う」と、彼等もふたたび牛を飼い始めたのですが、如何せん役牛と肉牛の飼育は全く違う世界、問題が起きると「見浦君、済まないが見てくれ」と頼みにくる、解決すると途端に昔はこうだった「見浦は何も知らない」と批判する、人に頼ったり、自分の考えに固執したり、皆さんも大変だなと同情したりして。

役牛としての飼い方と、肉牛として利益を上げるための飼い方は全く別物なのです。同じ和牛を相手にしながら異質の考え方が必要だと言うことを理解できなければなりたたない、そんな世界だったのです。

見浦牧場も最初は上殿の家畜商から2頭、芸北町の家畜市場から2頭、北広島町の家畜市場から5頭、三次の家畜市場から2頭など、あちらこちらから買い集めた子牛と、飼えなくなったと持ち込まれた県有の貸付牛など雑多な牛の集まりでした。勿論、昔の飼い方の中で生産された1頭飼いの牛ばかりでしたね。

和牛は神経質な牛でして、乳牛と比べると集団では飼い難いと言われていました。これは見浦牧場だけでなく全国的な傾向でした。北海道の白老町から見学に来られた農家の方も、見浦牧場で和牛を集団で放牧飼育していると聞いて、自分の目で見なくては信じられないと、わざわざ確認にお出でになりましたから。

見浦の牛を見て、放牧に適するように選抜淘汰して牛を作るのが、肉牛としての和牛の基礎の基礎と知って、自分たちも考え方を変えなくてはと理解をして頂いた時は嬉しかったですね。しかし、60年以上も経過した現在もこの考えは少数派なのです。

勿論、私達の見浦牧場も初期はそんな知識の持ち合わせはありませんでした。参考にする論文は、動物の行動や習性について詳しく論じたものはありませんでした、試行錯誤、まさに試行錯誤、その為に犠牲になった牛達には可愛そうなことをしたと、今でも心が痛みます。

動物はドミネンスオーダーとテリトリーと呼ばれる相反する本能を持っています。ドミネンスオーダーとは順列のことで、仲間との集団生活の中で、力の強い個体がリーダーになり、力の順に集団の中での順位が決まります。一方、テリトリーは縄張りのことで、より広い自分の勢力範囲を守るために死力を尽くします。どの動物も、この2つ本能を一方が大きければ他方は小さいと言う形で持っているのです。

皆さんも、よくご存じのニホンザルは順位の本能が大きく、縄張り本能は比較的小さい。だから必ず集団を作り、順位を決め、リーダーを選びます。縄張りを守る本能は小さくて、僅かに食事時の餌を守る程度。

ツキノワグマは縄張りの意識が強く、繁殖期以外は個体が自分の縄張りを死力をつくして守ります。見浦牧場に時々来場する熊君は何時でも単独で行動、複数でも母親と子供のペア、同時に二頭の成獣が現れた事はありません。彼等の縄張りは5キロ四方だと聞いていますが。

最初、見浦牧場の牛群は、この順列を決める際の争いで傷つきましてね。幸い死亡事故はありませんでしたが、獣医さんのお世話になるような傷が多かったものです。そこで専門家に意見を仰ぐと角を切れとの指導。参考書を見ると「除角」という項目があり、そのための方法や道具が列挙してありました。そこで早速角切を実行、素人が生半可な知識で新しいことに挑戦するのだから、失敗の連続、 この詳細は”角と教育”の文章を読んでください。ところが集団で周年放枚するシステムが確立するにつれて喧嘩は少なくなり、順列が決れば争いも即おさまる、怪我をして治療が必要な話はどこへやら。 従って角切の話など昔話になってしまった。専門書にかなりのスペースで紹介されて重要な技術だと思ったのにね。

その認識で動物や鳥を見ると、この本能の持ち方は種によって大きく異なることがわかりました。例えば我が牧場の大害鳥のカラス君、見事に順列を守って集団行動を取る、狸君や狐君は家族単位の小集団で、そして牛は集団で暮らす動物でした。そんなことは畜産の教科書には書いてなかった、 盲点の一つでしたね。

現在でも、この性質を経営に利用しようと言う話を聞く事はありません、私の寡聞なのかもしれませんが?。大投資が出来ない私達のような小さな牧場では個々の動物の理解を深めることは、経営を続けてゆくための大切な要件の一つではと思うのですが?。

2019.12.30 見浦哲弥


2021年1月23日

牛の涙(食物連鎖)

病院で看護婦さんに、牛は屠殺されるときに涙を流すのか、と聞かれた、私の心の琴線に触れた話である。答えたいとは思ったが、さすがに高熱の下では適当な言葉が出ない。でもこれは生きることの基本の話、それをこんな形で質問されるとは心外だった。今日は私の考えを聞いてほしい。

私達は食物連鎖の頂点で生きている。各種の肉も魚も穀物も野菜も、彼等は言葉にこそ出さないが、それぞれ生きるための懸命の努力をしていた。少年の頃、稲の籾 (もみ殻をかぶったお米)の種まきの前の作業、浸水(水につける) の作業を手伝った事があった。中にもみ殻が剥げてお米になった粒があって、それも芽を伸ばし始めていた。勿論、機械にかけて白米にしたお米は生命力を失っているが、その前段までは生きる力を持っている。

それは植物であれ、昆虫であれ、動物であれ、生きる努力は変わらない。でも何年もかかって成虫になる寸前のカブトムシの白い大きなさなぎが猪の餌になって無残に食べられてゆく、その幼虫の命と引き換えに猪が生き延びてゆく、それができなくて餌場で餓死した猪がいたな。そんな現実を眼前にみせられて、それが生きると云うことと自然に教えられてきた。人間は食物連鎖の頂点にいるから高等動物の牛や豚や鶏の命も頂戴して生き延びている。そこには可哀想の感情だけでなく、感謝の気持ちがなくてはいけないと、私は信じている。

若かった昔、この手で飼っていた鶏を殺し、山羊や、綿羊を殺して、家族の栄養を補った。でも生き物の命を頂戴して生きると云うことの本質まで理解するのは時間がかかった。

私は、完全に生きたというつもりはないが、先人の一人として多くの命の集積の上で生きてきた、そんな無学な農民の考えも理解して欲しいと思っている。

2020.09.20 見浦 哲弥


2020年4月12日

学べ動物の教え

私の長い人生の中で様々なところから、様々な教えを学んできた。その一つに野生の動物たちがある、彼等の親子の情愛は我々人間にも勝るとも劣らない。今日はその中で体験して心を打たれた話をしてみよう。

私は小板の自然の中で生活してきた。従って動物たちの思いがけない行動を見る機会にも恵まれて、生きるということの本質を教えられたことは1度や2度ではない。山国に暮らしで、たまたま出会った彼等達を思い出してみよう。

最初はキジくんの話である。見浦牧場は小さいながら牧畜で生計を立てている。従って牧草の刈り取りは欠くことが出来ない作業の一つである。トラクターを使っての草刈は思いの外に速度がはやい。作業は回り刈りという方式で草地の周辺から刈払ってゆく。その草の中でキジくんが抱卵しているとは思わないでね。そして騒動が起きて気がついた。キジくん抱卵の最中で逃げるのが遅れて、両脚を刈払ってしまったんだ。狂いまわるキジくんを見て私は驚得したんだ。可愛そうでね、卵をおいて逃げなかったんだと、そして機械に刈られてと思ったらやりきれなくなってね、作業を中止して家に逃げ帰ったんだ。暫くして様子を見にいった時は他の動物が格好のご馳走とばかりに持ち去ったあとだった。この事件は私には衝撃でね。以後、トラクターでの草刈は細心の注意を払うようになったのはいうまでもない。

次もキジくんだ。キジは春先の1番草を刈り取る頃にひなを孵す。彼等は平場の60-70センチに伸びた牧草の中が格好の産卵場所と認識して産卵しひなを孵す。勿論彼等を餌食と狙っている動物はキツネを初めとして数多く存在する。しかし、長く伸びて密生している広い牧草畑の中はキジくんにとっては格好の子育ての場所と認識しているらしい。こちらも前回の失敗で草刈りは慎重になって、草刈りの最中も草の異常なゆらぎに注意して作業をする。どの牧草地だったかは忘れたが草の揺れが自然でないのに気がついて、機械の速度を落として慎重に前進したんだ。案の定、ひながいるらしく母親の背中が見えた。ところが周り刈りして草を倒した平地にキツネくんが出現、トラクターは気になるが恰好の餌は見逃せないと刈り跡を走り回って逃げない、どうしてやろかと思ったね。ところがそこへ大きなキジの雄くんが現れた、見事な華やかな肢体を見せてね。それが怪我をしているらしくビッコを引いて羽をだらんと伸ばして、飛ぶのはおろか歩くのもやっとという状態でね。そしてキツネくんと雛たちのいる刈られていない牧草との間で苦しんで見せた。気がついたキツネくん、こちらの方が食べがいがあると目標を転換したんだ。そして雄キジに向かっていった。ところがあと一歩に近づくとキジくん、つらそうに羽ばたいて少しばかり逃げる、逃してはならじと追いかけるキツネ。それを何度も繰り返して雌キジからかなり離れたと思ったら、母鳥に引率されたひな鳥が草の中から走り出て、一目散に薮の中に逃げ込んだ。その姿が消えたのを見て雄キジくん、見事な羽を広げて大空に舞い上がった。それを呆然と見上げるキツネくん。一幕の演劇だったね、命をかけた究極の大芝居だった。

3番目はイノシシだった。放牧場に牛を呼びにいったんだ。夕方の少し薄暗くなっていたね。丘の上から谷間を見たらイノシシ家族の移動中だった。巨大な雄、成人した雌が2頭、そして10頭近くのウリンコ(まだ縦縞があった)の一家族(縞が見えたから、まだ明るかった) 。イノシシかと注目すると向こうも気がついた。雄くん、見上げて私達を確認しても逃げようともしないでこちらをにらみつけてね、ウリンコがヤブに消え、雌たちが消えた後に初めて雄くんがヤブに消えたんだ、悠々とね。私はボスくん、真っ先に逃げると思ったんだ。ところが私達をにらみつけて家族が安全に逃げたのを確認して姿を隠す、感心したね。

私の生涯で印象に残るのは、この3つだ。そして野生の動物でも素晴らしい本性を持つと感心させられたんだ。ところが霊長類の頂点だと教えられた人間の中に、とんでもない奴がいる。この小板のような小さな集落にも酒や博打に溺れて家族を顧みなかった奴がいてね、ロ先だけは正論でね、そして共通の結末は「なして俺は運が悪いのだろう」と、云うことも同じでね。
おなじ山国に住みながら自然から何も学ばなかった人達、私には信じられない。

2019.10.19 見浦 哲弥


2020年1月27日

人生は50/50

長い一生を生きて、おぼろげながら自分の人生を反省する時がきた。そして一つの法則が浮かび上がってきた。それは、人間の一生は、いいことも悪いことも50/50の割合で登場するということだ。見浦牧場の苦難の道を乗り越えて、ささやかな追い風を感じると、過ぎし我が生き方を平常心で見ることが出来る。そんな感覚で周囲を見渡すと幸運だけ追いかけていた人の殆どが全員と言っていいほど確実に後悔の人生で終わっている。同級生も親族にも例外がなかったね。

人間、誰しもが幸せを願い、幸運を夢見る、不幸や困難を期待する人はいない、当然のことだ。だが困難や不幸の対極として幸せが存在すると教えてくれた人はいなかった。テレビや新聞で犯罪を犯す若者の記事は多いし、私の友人、知人にもそんな考えを教えてくれた人はいなかった。

しかし、人生を88年も生きて振り返れば、正に50/50の割合で幸、不幸が現れていた。運がいいと思ったら、次は不運がやってくる、それを乗り越えなければ次の幸運はやってこない。ところが人生は方程式のように正確には現れてはこない。不運が続くと、無限に不運が続くと錯覚する、しかし、自然をみると、長雨も無限には続かない、必ず青空がやってくる、その逆もまた同じ。人間は自然のなかの生き物、自然の法則が厳然と適用されているのに、そんな話は誰もしてくれなかった。

幸いにも私はそれに気がついた。資本論もケインズも現代の修正資本主義も、神の如き絶対的権威はない。その中で本当の正論を見つけ出すことは不可能に近いことかも知れない。しかし、考えを一転して地球という自然の子として考えるなら、学ばなければならないことは、ついそこの身近にある。荒れ狂う自然の恐ろしさ、春風吹き渡る限りない優しさ、これが地球の現実の姿。人間の一生も同じように優しさがなければ、受け入れてもらえないし、嵐に耐える力を持たないと生きることは許されない、正に自然は教師なのだ。私はそれに気がついた、それが最大の幸せだった。そして自然の営みが私の判断の定規になって見浦牧場のモットーが生まれた。それは”自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”なのだが、90年近くの人生を振り返ると正に正論だった。

世の中には自分は不幸だと思っている人が多い。運に恵まれない、まんが悪いとのたまう、本当にそうなのか、私には信じられない。子供で独り立ちが出来ない頃の不幸は本当の不幸かも知れないが、なんとか自分で命を繋ぐところまで成長が出来たら、それから先は心がけ次第で道は開けると私は信じている。懸命に生きる、それは生あるものの宿命、それが明日につながるのだ。

人生の幸運と不幸は50と50の割合、努力次第でどちらにでも傾く、そう信じて一度きりの人生を生き抜く、それが貴方だし、私なのだ。

2019.3.28 見浦哲弥

2011年8月22日

もう終わりだけー、無駄?

身の回りに老人が増えました。当人の私も目下81歳をめざしてまっしぐら、増えたと感じるのは当然です。
ところがもう何をしても時間がない、役にはたたないと、勉強も努力もしない人が多い。死後の後生安楽を願って信心三昧、昔は多かったですね。でも社会が進歩して情報が充満し、知識吸収の機会は山積みしているのに、遊びに、旅行に、信心に、と後ろ向きに走るだけなのは間違っていると思うのです。

先日、牧柵の修理のため、冬の間に切り倒して小切ってあった(必要な長さにきること)栗の木を取りに行きました。土の上に転がしてあった木を持ち上げると、裏側に数本の枝が伸びていました。そして新芽が出て葉が開き始めていました。
いままではごく当たり前と思っていた現象でしたが、その時は違っていた。これは自然からのメッセージかもしれないと思ったのです。

世間一般では、定年がきてリタイヤすると余生を楽しむとて後ろ向きになる人が多いなかで、私の男の同級生でただ一人生き残っている的場くんも、そして私も、まだ現役で仕事をしている。貧乏といえばそれまでですが、旅行だ、レジャーだと残りの人生を楽しむだけに使っている人が先立って行く。
70年あまりもつきあった的場くんの顔を見るたびに、自然の教えはそうではない、最後まで全力を尽くしなさい、それが無駄であってもと、訴えているようです。

根のない丸太の生き残る可能性はゼロに近い、たとえゼロでも前向きの努力をしなさい、仕事も勉強も許す限りの全力を尽くしなさい、これが自然の生き方なのですと。

私の人生の指針は自然、見浦牧場のモットーは

”自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”

人称して見浦教。

長い人生で起きた様々な出来事の中で、私は自然の理を参考に生きてきました。でも終わりの生き方は目下勉強中。その中で気付いたこの現象は、大きな自然の教えなのかも知れません。
最後まで人間らしく生きる、そのためには無駄と思えることもけっして無駄ではないと。

一本の丸太が教えてくれたこと、私の頭は、大切なことなんだ、徒労ではないんだと、繰り返し訴えています。

長い人生の迷い道で何度も正道を教えてくれた自然、間違っているはずはない。これからも迷いながら残りの人生を歩いてみようと思っています。

2011.5.31 見浦 哲弥

2007年6月11日

座右の銘

 見浦牧場の事務所を覗いてください。
乱雑に取り乱した室内の壁に色あせた標語が貼ってあるのが見えるでしょう? この標語が私達の生き方、この牧場の考え方の基本なのです。今日はその話をしましょう。

 その中で1番大切にしているのは“自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”です。
 もう随分昔になりますが、可部の中学校の先生が立ち寄られました。壁のこの言葉を見て共感する所があったのか、誰の言葉かと尋ねられました。私が考えた座右の銘ですとお答えしたら、たいへん感心されました。

 しかし、この言葉はいまから40年余り前、この牧場をはじめた頃、何も知らない私が思い悩んで思考錯誤し、様々な人達の意見を聞いて、色んな本を読んで、ようやく辿り着いて出来あがったものなのです。

 この世の中では、一つの事柄でも立場が変わると正反対の答えがでる、そんな事が多くあります。これでは新しい農業の道を探すのには役に立たない、とくに市場経済と呼ばれる競争社会の中で生き残る事は不可能だと思ったのです。没落した見浦家では資本の大きさで競争に打ち勝つ、という方法は取れませんでした。

 残された道は人の1歩先を歩く、それしかなかったのです。そのためには多種多様な意見や情報を取捨選択しなければならない。その基準になる物差しがあれば、私のような人間でも正確な判断が下せるのではないかと。

 その物差しは何にするべきか、悩みに悩みぬきました。わたしの経済の指針、マルクス、ケインズの天才をしても完璧な理論にはなり得なかった。人間は神ではないと歴史が証明しています。私のような無学な者でも理解が出来て、絶対に間違いのない基準、それは何か、何ヵ月も考えましたね。
 そしてある時、ふと思ったのです。私達は自然の中で生きている。自然を否定しては存在しない。ならば自然の法則が絶対の基準ではないのかと。

 たとえば、草花は、種をまき、芽が出て、双葉が開き、根を張り、茎が伸び、葉が茂り、花が咲く。そして実がつき、種を落として、枯れて土に帰る。その過程のなかでの開花なのです。ところが花屋の店先では何時でも美しく花盛り、お金を払えばどんな花でも手に入る。スーパーに行けば、お米も野菜も果物も様々な商品が何の前置きもなくすぐ買える。こんな便利な社会に住んでいると物事の本質が見えなくなる。仕事も生き方もね。

 私が牧場を始めて数年後、一人の青年が訪ねてきました。米作りは限界がある、だから畜産をやりたいと。畜産は何を考えているのかと聞くと豚を考えていると。
 当時、戸河内では3軒の農家が養豚で安定した経営をしていました。そこでまず手作りで小さな豚舎を作り、2-3頭からはじめろとアドバイスをしたのです。
 ところがそんな事では何時になっても豚で飯は食えない。今は資本主義の時代、金がないのなら借金をしても大きくやるべきだと、無責任な発言をする親類がいて、おまけに餌さえ売れればの餌屋が種豚も技術も提供すると申し出たから大変、立派な豚舎が建ち、種豚が30頭入るのに時間がかかりませんでしたね。
 ところが、相手な生き物。1頭1頭が扱いが違う。病気にもなる、怪我もする。回りがああだ、こうだと言っても経験のない者には対応できるわけがありません。思惑どうりに行かなくても、銀行も飼料屋も取り立てには容赦ありません。こんな筈ではなかったと気付いた時は、もう蟻地獄、長年続いた旧家も破産する道しかありませんでした。

 10年余り経って彼が来ました。「見浦さん、わしが間違っていた。貴方が正しかった。」そう言った寂しそうな姿にかける言葉はありませんでした。長い反省の末だとは思いますが、失った人生は2度と帰ってこない。2ヶ月後病で死んだ彼は、まだ40代の初めでした。

 自然の中で生まれ、田舎で育った彼が、その自然から何も学んでいなかった。花屋の店先で咲き競っている花々には生きて行く為の根がない、華やかだけど短い命の仇花だと言う事が理解できなかったのです。
 自分で豚舎を建て、2-3頭から飼いはじめる。そして失敗や体験の中から学んで行く。それは、植物が根を張り、茎を伸ばして、葉を茂らせてからでないと花をつけないのと同じだよと教えたのに、彼にはその意味が理解できなかった。残念でなりません。

 自然の真理は身近にありすぎて、見落としている人が多いと思います。私がそんな基本から話しを始めるようになったのは、この小さな集落の中で、いくつか同様なことが起きてからなのです。
 でも「そんな事は誰でも知っている。馬鹿にするな」何度も叱られましたね。同じ話に真剣に耳を傾けてくれる様になったのは、私が老境に足を踏み入れてから。世の中はままならぬものです。

 今日は見浦牧場の基本の話をしました。この続きはまた次の機会に。

 最後にもう一度。「自然は教師,動物は友,私は考え学ぶことで人間である」

2007/1/10 見浦哲弥

2003年5月29日

育つ木

……

そりゃぁの、わしらぁみたいに、自然の中で暮らしとるもんには、あったりまえなんだぁや。

なしてあたりまえか、ゆうとの、まあ、むかしゃぁ、稲の苗をとるときに、苗をとって洗うんだがの、今、植物抜いての、こう、洗やぁええんよ。根っこを。

そうするとの、よう伸びるやつは、白い根がいっぱい出とる。そいで、伸びないやつは、黒っぽい、赤っぽい根があるだけで、白っぽい根がないんじゃ。そりゃなしてか、ゆうたら、養分を吸う、窒素や燐酸、カリ、それから、水分やら吸うのはの、細胞膜通して吸うんだぁや。古い組織や古い細胞の表面から、よう、中へいっそ吸収せんのんよ。ほいじゃけぇ、養分を吸うのは、常に新しゅう伸びた根しか養分が吸えんのよ。

ほいじゃけぇ、よく伸びる木は、いっぱい根を、目には見えんでも、絶えず根が伸びよる。絶えず努力しよる。絶えず知識を吸収しよる。それは根が伸びとりゃ、ちょっと手をやれば、立派な木にもなるし、立派な仕事も出来るんよ。

ところが、なんぼぅ上の木が立派でも、下の根が伸びん、白い根がないようなものは、はぁ、枯れるばっかりなんだけぇ。

ほんだけぇ、わしゃぁ、今のサラリーマンでも、人でも、もっと、自然を、、わしらぁ、自然の中で、淘汰され、進化し、こうして生き残ってきたんだけぇ、自然の規制をものすご、受けとるんよ。その規制の中で、生き残るやつと、生き残らんのが分けられよるんよ。

だけぇ、もっと、自然ていうものを、もっとみんなが見て、そんなかから物事を学びさえすりゃぁ。ぽーっとしとるやつぁ、枯れるにきまっとるんだけぇ、あんたぁ。

そりゃぁ、「わしゃあ、そこそこでええよ」、ちゅうなぁ、はぁ、1年か2年か、木は立っとるけど、大部分が化石じぇけぇのぉ。ありゃぁ。中は化石なんじゃけぇ。

生きとるやつはへりの形成層の下へ、わぁーっと、水を吸い上げて大きゅうなりよる。そいだがまぁ、養分を吸わんようなやつぁ、もう、形成層がだんだんなくなって、いっぺんにはなくならんけど、すぐに枯れるなぁ、はぁ、決まっとるんじゃけぇ。

ほんだけぇ、自然の中でもっと、みんな、もっと自分を見つめてみる。どんなに理屈をゆうても、自然に逆らうことはひとつも無いんじゃもん。

ほんじゃけぇ、サラリーマンだろうが、なんだろうが、組織の中で生き残ろう思うたら、その原則に従わにゃぁ、生き残れんのよ。

2003/4/29 見浦哲弥談


<オリジナル音声はこちら>

2003年5月4日

ミツバチが教えてくれたこと

去年、おがくずが積んであったトラックの荷台にニホンミツバチが巣をつくったんよ。そのままじゃぁ、やれんけぇゆうて、巣箱をつくって、引越しさせたんや。しばらくはせっせと蜂が出入りしよったけど、そのうち全滅してしもうた。かわいそうに全滅してしもうたのぅと思うとったら、また、あたらしい蜂がきての。

情報を調べてみたら、蜜道のにおいがしとるとやっぱり入りやすいんだって。ほいで、秋の寒うなってからきやがったんで、こりゃぁ、その、冬が越せるか越せんか、問題じゃのうと思うて、ほいで、蜜をいっしょうけんめいやったよの。それが今は言語道断におおきゅうなって、わんわんやりよる。それみて、頭が働いたんよ。

あー、人間と同じやな。集団、特に日本人は一人じゃなくて、何人か集まらにゃできんけぇの。
集団があんまり小そうちゃあ、エネルギー発揮せんのや。自己増殖していかないんだ。あんまり小さくなってくと、どんどん小さくなっていく。

ほいじゃけぇ、どんなにつろうても、ほんとに大事な人材は、ある程度の数、もう、利益が出んでも、赤字が出んこう、つぶれさえせん限り、かかえていかなあかんのやなと、それをトヨタのやろう、知っているな、と、わしゃ思うたね、それ見て。

あんまりちがわんのんよ。おんなじ蜂が、おんなじ箱ん中はいって、ほいで一生懸命次々孵るんよ。卵産んでの、新しゅうどんどん出てくる。出てくるんだが、倒れていくほうが多い。

ほいじゃけ、経営する場合、一番大切な、今、日本みたいな会社は、資本で人材が一番大事なんね。人材のスケールをある程度まで落としてしもうたら、もうだめなんやな。

もうひとつは、信弥さん(注:弟)がいいよったように、分散してしもうたら、エネルギー発揮せん、たぁ、そのことなんやな。ある程度優秀な人間、一箇所に集めて、1つの集団つくるとそれが増殖し始める。

あー、蜂のやろう、こがぁなことを教えてんだ、と、こないだ、わしゃ思うた。すげえなぁ。

……

ほんで、こないだから、蜂をじーっと、わしもあそこを通ったら見よる。ほんで、出てきたら、ぴゃーっとある方向にいくんよ。

たしかに、こんなやつらは、この方向にあるよっちゅうのは、教えられるに違いない。
あとは、それでも、こんなやつらは、教えられたらその方向へいって、花を探して、蜜ひろうて、戻る。
これは全部教えちゃぁおらんぞと。教えよらんぞと。
それから、すりこみでもおそらくないぞと。

ちゅうのはの、この冬でも、ニ十何頭、三十頭ちこう、お産があって、今朝も2つお産があって、ひとつは乳をつけたんだけども、見る間に学習してくんよ。どこにお乳があって、で、体をどういう風に固定をして乳を吸やぁええかっちゅうのを、はじめあたったら、すぐ学習してくんよ。

ところが、中に学習できんやろうがおるんよ。
なんぼぅやっても、やっても、わしゃぁこうですよ、ゆうての。

ほんだけぇ、今から生き残る企業やっても何やっても、生き残るものは、人を育てるっちゅうけども、
もともと、ないものは育てられねぇや。

ほんだけぇ、まず、一番基本は、そがぁに飛びぬけとらんでもええけぇ、いわゆる、自分で学習していく能力を持っとるやつを探して、まず集める。
ほいで、優秀な奴つけて、そいつをひとつの集団になるように育てていく。

それしかにゃぁ、手がないんや。はっきりいやぁの。

2003/4/29 見浦哲弥談

<オリジナル音声はこちら その1 その2>

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