中国山地に生涯を送って異様に感じたのは、昔からの言い伝えや物語がなかったことだ。仕事の方法は昔からこうだった、ああだったと厳重に守らされたが、囲炉裏端や集落の集まりでの昔話は聞いたことがなかった。小板での生活80年近くの間、一度も聞いたことがなかったから、いや1度だけ○家の2-3代の前の話を聞かされたか、それが小板での唯一の昔話。どの集落も何百年かの歴史があり、しかも小板はタタラバと呼ばれた溶鉱炉跡が4つもあったのに。そして、たたら鉄は浅野藩の主要貿易品の一つで、製品は遠く北陸の刃物産地まで運ばれて加工されたという記録もある。産業にまで育った製鉄業、従事した人は少なくなかったと聞いている。人が集まれば、様々な情報が行きかい、歴史の記録や、民話が生まれていたはずなのにである。
小板での昔話が私の”幻の古戦場”だけというのは、いかにも異常である。しかし耳を長くしても周辺の集落からも昔話が聞こえてこない。私の勉強不足か異次元の力が関係しているのかと思いたくなる。
歴史の記録は官公庁や学校などの記録が全てだとは思いたくない。私は名もない民衆の中の記憶の集積も重要な歴史の一つだと考えているからである。そして庶民の記憶の底に眠っているであろう昔話を掘り起こす、そんな運動が起きたらと私は願っている。
この地帯は浄土真宗一色の宗教王国だった。私の知る限り宗旨の中に昔話の否定はないが、来世は誰も平等の考え方が昔話の否定に役だってしまったのかと憶測をしている。
私の昔話論には色々な意見があるとは思うが、これまでの話が残っていないのなら、今からの住民の生活の中の小さなエピソードを伝え残すことで昔話をつくるという案は無謀だろうか。ここ中国山地にも人は住んでいた、そして住んでいる、その証として、それぞれの生活の小さな出来事を新しい昔話として残す運動は夢物語であろうか、私は戯言ではないと思っている。
そして西日本の豪雪地帯にも考える人が住んでいた証に、小さな人間の出来事を昔話として語り継ぐ、そんな運動を起こしてみたい、老翁のささやかな願いである。
2019.1.17 見浦哲弥
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