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2018年11月17日

飛行機雲

小板はかの悪名高きブラウンルートの真下にある。敗戦から今日まで70年余り、米軍の戦闘訓練に付き合った。周辺の住民は騒音被害と声が高いが、これも悪名高き日米戦争の置き土産、東条さんを始めとした馬鹿将軍たちのおかげとあきらめている。もっとも陸軍にも宇垣一成将軍のような優秀な軍人もいて、昭和天皇も彼を首相にしたのだが、権力闘争で破れて敗戦国日本が出来上がってしまった。その結果、ブラウンルートなる米軍の訓練空域が小板の頭上にある。時折、最新鋭の戦闘機が訓練飛行にやってくる。単機で来るのは新米の習熟飛行、スピードは早くはないので爆音から機体を見つけるのは比較的たやすいが、2機でおいでになっての戦闘訓練は猛スピードで、聞こえる爆音のはるか前方の機体を見つけるのには努力がいる。教官機を懸命に追う練習生、空の教室も命がかかってただ事ではない。小板集落の峰一つ向こうが樽床ダム、日頃は聖湖は平和な都会人の憩いの場、キャンプ場あり、ダムのすぐ近くに三ッ滝なる名瀑もあるが、半島の緊張が高まると爆撃訓練の対象になる。高空から一直線に急降下した戦闘機が稜線に消えたかと思うと急角度で上昇する、一つ間違えば地上に激突するのかと手に汗を握るのだ。

ところが、これが半島や大陸とアメリカの関係がギクシャクすると、途端に激しくなる。朝から暗夜の埜まで駆け巡るルートの下の町村が悲鳴を上げて政府に騒音被害と迫るのだが、敗戦国の悲しさ、善処しますの一言で終わりになる。無謀な戦いをし掛けた報いは200年は続くと私は思っているのだが、物忘れの国民は敗戦の歴史を忘れ、責任者の東条さんの罪も忘れて騒音被害と大声をあげる。無学のドン百姓の老人でも理解している歴史を、都合の悪い点は忘れて被害だけを並べても、世界が認めてくれるほど甘くはない。

時折、松江の自衛隊の哨戒機がやってくる。レシプロの4発機がブラウンルートの少し高い空をのんびりと飛行して小板の空を1-2回周回して帰ってゆく。同じレシプロ4発機でも前の大戦のB29は1万メートルの高空を白煙を引きながら飛んできた。あまりの高空で爆音は聞こえなかったが、広島まで轟いた広の絨毯爆撃の爆弾の音は忘れることが出来ない。

平和の現在は、その高空を大きな旅客機が飛び回る、小板はその民間航空路の真下にある。北東から大阪方面からのジェット機が、反対に南西から九州方面からもやって来る。白煙を引きながらね。深入山の頂上あたりで上昇を止めるらしく、それまでの白煙が消えて銀色の機体がゴマ粒のように太陽の光を反射する、それも青空に消えて次の白煙があらわれる。白煙が見える気象条件の日には北から南から何本もの白線が大空に残る、もっともそんな天候は1年に10日もないか。同じ白煙でもB29の白煙と違って平和の有り難さを痛感する。

この他に年に何回かトイプレーンがやってくる。加計の温井ダムの辺りのミニ飛行場から飛び立って深入山を一周してお帰りになる。一度飛行場にお邪魔して同好会の皆さんがお持ちの飛行機を拝見したがロッドの骨組みにカンバスを張った飛行機で空を飛ぶとは私には非常識の世界であった。こんなものに乗って30キロ近くも飛んで深入山までやってくる、私にとっては理解できない冒険の世界だ。それでもお天気のいい日にブーンと脳天気な爆音は平和の有り難さを教えてくれる。配線間近の昭和20年、米軍機の目をかすめるように同じ空を戦闘機から練習機まで低空を飛んでいった。戦後、特攻機とするためと聞いた空は今は平和である。

2018.10.8 見浦哲弥

2018年5月6日

ブラウンルート

見浦牧場は中国山地の県境近くにある。ここはブラウンルート(注1)や民間航空ルートの真下だ。お天気によっては上空は大変な賑やかさ、しかも米軍の訓練空域でもあるブラウンルートは世界情勢のバロメータで、ニュースが伝えない緊張感も伝わってくる。
平常時は週に2―3日訓練に飛来する。かなりの高度を2機が前後して飛行する時は、大抵は新米くんの訓練飛行、前機の上昇や急回転に後機が懸命について行く。
それが日にちが経過するごとに高度化して近くのダムめがけての急降下や夜間のドッグファイトになると新米くんも一人前かと一人合点をする。
ただ時たま谷あいを超低空で高速で走り抜ける。実戦になれば必要な技術かも知れないが、その時の轟音は尋常でない。翼端から水蒸気の白煙を引きながら峠すれすれをかすめた時は、流石に頭を低くした。一瞬ではあるが怖かったね。
この状態が起きると近辺の国際情勢が緊迫しているんだ。最も新聞その他のニュースソースは遅れること数日、それも加工してあってね、あとは想像しかない。
ノーテンキな日本人は日本が敗戦したことを忘れて抗議の声を上げるが、国際情勢はそんな単純なものではない。原因を作った東条さんを神様と信じる国民には理解ができないかもしれないが。
それはともあれ、北朝鮮ではロケット発射や原爆実験で物騒な話が伝わってくる。ところが今回はブラウンルートが静かなのだ。何日か置きに高空で1―2度ドックファイトをするくらい、それも1―2度繰り返すと静かになるんだ。そこで素人が判断する、北朝鮮の行動はブラフだけだと見ぬいたのかなと空を見上げている。

ともあれ小板の空は賑やかだ。ブラウンルートには松江の海上自衛隊の4発機も時折やってくる。2機編隊で悠々と上空を通過して旋回して帰ってゆく。こちらは同じ軍用機でも緊張の程度が違う。
土日の休日に温井ダムの近くから超ミニライトプレーンもやってくる。深入山を一周して帰ってゆくが、シート一枚で何百メートルの下の地上を見ながらの飛行は私には考えるだけで怖い。
小板の上空は商業航空の航路でもある。気象条件のいい晴天に北東の大阪方面からジェット旅客機が白雲を引きながら駆け上ってくる。深入山の上あたりで突如消えて銀色の機体が点となって移動してゆくのだ。南西からも同じように飛行機雲が引かれて深入山で消える。
書物によれば飛行高度に登るためにエンジンをフルパワーにして上昇するために飛行機雲が生じるのだという。
敗戦直前の昭和19年、大阪方面から九州に向けて戦闘機から練習機まで様々な軍用機が上空をとんでいった。赤とんぼと呼ばれていた練習機まで。敗戦前の最後のあがきの特攻機としての移動だったと。
どこにもある小板の空、でも、少し観察を深めれば物語がある。

2016.4.28 見浦哲弥


(注1)
ブラウンルート米軍の低空飛行訓練ルートの1つ。見浦牧場の上空は、米軍の空中戦訓練空域「エリア567」にも含まれている。

2017年10月21日

弥畝山風力発電所

2015.11.2 裕子さんが律子のお店の応援にきている。その食後の話、お盆に深入山に登ったら風力発電の風車が見えた、あれはどこかとグーグルで検索して話題になった。そこで百聞は一見と見学に行った。

裕子さんと孫の淳弥君と、北広島町八幡まで国道191号線を北上、191スキー場の三叉路で右折、県道波佐匹見線を約1キロ弱、再び三叉路を左折、県道115号線に入る。2車線の道路は間もなく1車線に、平坦な道路を1キロも走ると集落が現れる、木束原集落である。整備された水田と数件の農家、彼方の低い山すそに2軒の別荘が時代の変化を告げるだけで、数十年前の八幡村の風景が現存する。私が30歳代、飼料の稲藁を買い集めるために通った集落、懐かしさもひとしおの集落である。集落の中の平坦な道をたどること2キロ、殆ど登ることなく峠である。木束峠海抜798メートル、ここから比較的なだらかな坂道を約1キロ下ると島根県の波佐匹見線との三叉路に出る、右が周布川の源流である。その川に沿って深い谷をくだること2キロ、小さな集落の中の三叉路を左に曲り坂道を約3キロ登ると峠、左に行くと弥畝山であるが現在は私有地。



峠の手前に資材置き場があった。取り付け前の巨大な翼が3枚、運搬用の長大なトレーラーが翼を1枚積んで停車していた。長さが40メートル以上もあろうかという翼は地上で真近で見ると、その巨大さを実感する。峠の交差点から左右に伸びる作業道があって、間隔を置いて風車のタワーがそびえる。低い潅木が繁って道路からは見えるのは数個のタワーだけだが列状に建設されていて壮観である。見学時は2基が建設中で1基はタワーと発電機が取り付けられていて、もう1基はプロペラの取り付け中、100メートルに及ぶクレーンがそびえて羽根が1枚だけ装着されていた。作業を見学できたら感動するだろうとなと思ったんだ。

峠から日本海側は島根県弥栄町、比較的平らで小山が散在する。それが弥畝山で急にそびえ立って、峯が連なっている。地球の自転に伴う気象上の風を利用するには最高の地点かもしれない。この地形に目をつけた技術者は只者ではないと思ったが、冬季のすさまじい気象をしる地元民としては果たして強度的に耐えるものか少しばかり不安を覚える、他人事ではあるが。

もう一つ不安に感じたことがある。エネルギーを失った風がもたらす気象の変化である。実は小板集落の隣に出来たダム聖湖は冬季の積雪の変化をもたらした。深い谷間の集落にあった樽床集落が水没し、湖面の上昇で風の通路が45メートルあまり上昇した。その上を吹き拔ける北風は勢いを増して我が小板は多雪地帯の八幡地区と同じ積雪量、もしくは多いくらいに変化した。同じような現象が風下になる八幡地区で積雪の記録を更新しないかと、老婆心ながら心が痛む。

弥畝山は標高961メートル、その稜線に100メートルばかりの風車が立てば、八幡から見えなければおかしいと思っていたら、息子達から雄鹿原の診療所の帰りに八幡洞門を通ってすぐに5基の風車が見えたと報告があった。最近の変化なのと県境の向こうの出来事なので情報が遅れているのかもしれない。建設が完了した時は何基の風車が稜線から顔を出すのか、これも興味がある。この地方も携帯電話の中継塔が思いもかけないところにまで建設されて、たまのドライブにこんなところにと驚くのだが、今後は風力発電の風車で驚くことになるのかも知れない。

今まで利用されなかったエネルギーを電力に変えて活用する、素晴らしいことである。しかし、50メートルに近い羽を回転させるメカニズムは近年の技術の進歩がなくては成立しなかった。特にプロペラの回転軸の取り付け部の荷重はとんでもない数字になるはずである。回転軸に密生している取付のボルト穴はその巨大な荷重を想像させる。久方ぶりに近代工業発展の成果の一端を見た。

ともあれ、こんな山の中まで開発が進んできた、道路の改良で都会が近くなった、ダム建設で山の中にも日本近代化の足跡が見えると思っていた矢先、今度は山の稜線越しに風力発電のプロペラが見える。時代の足音が近づく一方で、人口流出で山村が崩壊してゆく、この矛盾をどう解決してゆくのか、老い先短い老人の一人として、そのことを心配している。

2016.9.20 見浦哲弥

2017年7月29日

(番外編)空から小板をみてみたら

空から小板をみてみたら、懐かしいものが見れるかも。
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