昔はといっても茅屋根の時代だが小板にも燕が沢山やってきた。春先まだ残雪が残っているのに燕が春が来たかと偵察にやってくる。「燕がきた」は、まだ春遠しと思っていた住民に春は其処まで来ていると告げに来てくれた。害虫退治のツバメ君に好意を持つ農家は早速木の枝と藁で営巣の台を作って高い囲炉裏の天井から吊り下げる。当時多かった青大将君が卵を狙ってやってくるから燕と人間は共闘するのだ。燕も営巣するため安全には知恵を使うんだ。そして春先から秋の訪れの匂いがするその日まで小板の空で燕が昆虫を追い回す。彼らの餌の中には農業の害虫も少なくない。従っていたずら専門のカラスと違って燕は農民の友達で人間の住居の近くに営巣する。そして子育てのドラマを演出してみせる。泥土と藁や枯れ草の巣作りは小さな体の燕夫婦が懸命に働いた成果、そして人間と燕が協力して夏を演出、南の国へ旅立つ日まで小板の空の燕は風物詩の一つなんだ、懐かしい遠い思い出も蘇る風物詩なんだ。
その貴重な燕君、巣作りをして、抱卵をして、子燕の黄色いくちばしが覗いて、黒い頭が親が運ぶ餌の取り合いをする頃にやっと何羽孵ったとわかる。今年は4羽だった、5羽だったとね。育ち盛りの子供の餌のために親鳥夫婦は早朝から夕暮れまで休む暇がない。懸命な姿は自分たちの子育てを思い出す。「我ながらよく働いたな」と、それが生き物の宿命なんだなーと。
6.16 5羽の子燕が巣立った。猫にもカラスにも襲われずに無事にね。昨年は片親が死んで1羽で懸命の子育てだったが、いかんせん力不足、栄養が足りなくて巣立ちに落下して飛び立つ力が足りず、無残にも何者かの餌食になった。そんなこんなで電線に5羽の子燕が止まって、親燕の餌を待つ光景は心があたたまる。餌を運んできた親ツバメがロ移しをしないで「ここまでおいで」と空を飛ぶ訓練をする。まるで人間の家族を見るようだ。子燕が自分で餌が採れるようになると親ツバメは次の子育てに入る。秋の大旅行の前にもう一度の子育て、急がないと南へ海を渡る体力の2番子は育たない。生き延びるということは大変なことなんだ。
毎年繰り返される小さな小劇場、でも素晴らしいドラマ、今回は大成功だった。次も成功裏に終わるよう今から祈っているんだ。
2019. 6. 18 見浦哲弥
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