2019年7月18日

稲刈り

秋、今年も稲刈りの季節がやってきた。お向かいのS家では3連休を利用しての稲刈イベントのために、兄弟、子供、孫たちー族が集まった。住居横の広場に6-7台の自動車が整列するのは壮観である。しかし、今年は期待の連休が雨で始まった。従って折角の一族の集合が時間つぶしで過ごして3日め、ようやく到来した晴天に、10アールばかりの田圃に機械と10人ばかりの大人が殺到し、あっと云う間に終了、夕方には自動車の一群は姿を消した。例年はノンビリと時間をかけて楽しむ行事が都会のあわだだしさで追われて、収穫を祝うこともなく終了とは傍観者にも寂さが伝わってきた。

わが小板には盛期20ヘクタールの水田があった。小さな盆地とはいえ黄金の稲穂が山の麓まで続いて、水があるところは全て水田だった。早春の緑、10月初めの黄金色は大切な我が故郷の風景のひとつだったのだ。 あれから80年近く年月は過ぎた。旧国道を松原側から走って小板集落に出ると一望の山村が出現する。牧草地あり、稲穂の揺れる水田あり、深入山と苅尾山とに挟まれたミニ盆地小板の、”ほっと”する風景である。その風景もさらに500メートルも走ると無残にも朽ち果てた農家や荒れた水田が目に付き始めるが、今日はそこまでは目をやらないことにしよう。
中国山地の集落が無住となって人影の消えた家々が山林に帰り始めてずいぶんになる。往年の姿を知る私達も気づかずに通り過ぎる杉林の中にも目を凝らすと田圃の石垣が見える。せめてもの故郷のしるしにと整備された墓所もある。そんな寂しい風景が、そこここに見える中国山地だが、ここ小板の入り口の風景は中国山地はまだ生きていると訴えているんだ。

閑話休題、稲刈りの話だ。作付けは10アールと50アールの2軒、最近は稲作りも近代化と
様々な機械が登場、田植えが機械なら、除草は農薬、稲刈りは刈り取りと同時に脱穀を機械がやる。稲を乾燥するイナハゼは遠い遠い昔となって老人の私には異次元の世界になった。それでも今の稲作を伝えたいとS家でもO家でも子供や親類を集めて春の田植えから秋の稲刈りまでの実演イベントを開催する。S家の小さな田圃の作業は人と機械でアッと言う間に終了。一方のO家では田起こしと堆肥撒き、畦草刈りは、都会住まいの当主が子供や孫を引き連れての農作業だが、田植えと稲刈りは耕作会社に委託して大型機械がやってくる。従って、これも一瞬で終了。眺めていると何日も腰を屈めて泥田を這い回ったのは夢だったかと思うのである。

しかし、一方の荒れ果てた田圃を見ると華やかだった子供の頃の小板を思い出す。ちいさな集落にも大勢の人がいたな、いたずら仲間の子供たちも十分な数でね。80年近くの年月で何もかも変わって、少しばかりの稲刈りでもを見ることが出来るのは幸せの一つなのだと。

ともあれ小板の稲刈りは終わった。出来ることならば来年も再来年も、この風景が続くことを願っている。それが長い年月を小板で暮らした老人のささやかな願いでもある。

2018.10.26 見浦哲弥

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