ところが、これが半島や大陸とアメリカの関係がギクシャクすると、途端に激しくなる。朝から暗夜の埜まで駆け巡るルートの下の町村が悲鳴を上げて政府に騒音被害と迫るのだが、敗戦国の悲しさ、善処しますの一言で終わりになる。無謀な戦いをし掛けた報いは200年は続くと私は思っているのだが、物忘れの国民は敗戦の歴史を忘れ、責任者の東条さんの罪も忘れて騒音被害と大声をあげる。無学のドン百姓の老人でも理解している歴史を、都合の悪い点は忘れて被害だけを並べても、世界が認めてくれるほど甘くはない。
時折、松江の自衛隊の哨戒機がやってくる。レシプロの4発機がブラウンルートの少し高い空をのんびりと飛行して小板の空を1-2回周回して帰ってゆく。同じレシプロ4発機でも前の大戦のB29は1万メートルの高空を白煙を引きながら飛んできた。あまりの高空で爆音は聞こえなかったが、広島まで轟いた広の絨毯爆撃の爆弾の音は忘れることが出来ない。
平和の現在は、その高空を大きな旅客機が飛び回る、小板はその民間航空路の真下にある。北東から大阪方面からのジェット機が、反対に南西から九州方面からもやって来る。白煙を引きながらね。深入山の頂上あたりで上昇を止めるらしく、それまでの白煙が消えて銀色の機体がゴマ粒のように太陽の光を反射する、それも青空に消えて次の白煙があらわれる。白煙が見える気象条件の日には北から南から何本もの白線が大空に残る、もっともそんな天候は1年に10日もないか。同じ白煙でもB29の白煙と違って平和の有り難さを痛感する。
この他に年に何回かトイプレーンがやってくる。加計の温井ダムの辺りのミニ飛行場から飛び立って深入山を一周してお帰りになる。一度飛行場にお邪魔して同好会の皆さんがお持ちの飛行機を拝見したがロッドの骨組みにカンバスを張った飛行機で空を飛ぶとは私には非常識の世界であった。こんなものに乗って30キロ近くも飛んで深入山までやってくる、私にとっては理解できない冒険の世界だ。それでもお天気のいい日にブーンと脳天気な爆音は平和の有り難さを教えてくれる。配線間近の昭和20年、米軍機の目をかすめるように同じ空を戦闘機から練習機まで低空を飛んでいった。戦後、特攻機とするためと聞いた空は今は平和である。
2018.10.8 見浦哲弥
0 件のコメント:
コメントを投稿