夏の日、小板の自然はアブラゼミの大合唱である。暑い暑いと言いながら時を忘れて仕事に精を出す。タ方ふと気がつくとセミの声の中に微かにツクツクホウシと秋の前ぶれの声が交じっていた。
今は河川改修で消え去って偲ぶべきもないが、うまれ故郷の三国の九頭竜川と竹田川の河口の交点にあった汐見の桜堤防、夏はアブラゼミの大合唱だった、遠い遠い少年の記憶が昨日のことのように蘇る。あの大合唱には及びはないが、小板でも同じセミの合唱は聞こえる。そのセミの声にツクツクボウシの声が交じると、季節は一気に秋になだれ込むのだ。それを聞くと冬近し、小板の一番の厳しい季節が目前と身構えるのだ。時間は止まることはない、いや高齢になるにつれて時間が高速で過ぎてゆく、残りの時間は少ないよ、と声をかけながらね。
ツクツクボウシの鳴き声の時間は短い、何日かして、ふと気がつくともう聞こえない、時は急速に秋になり、冬に走りこむ、そこで若かりし時代とは時間の流れの速さが異なることに気がつく。二度とない時間が去る現在の感覚は体験したことのないもの、長い地中での生活の末、晴れやかに命を歌った蝉たち、彼等の地上の時間も短い、そして私も振り返れば短い命だった、精一杯生きたのだろうかは自信がない。
夏のひと時、ふと耳に止めた蝋の声が心に染み込んで幸せを感じている。
2020.09.26 見浦 哲弥
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