2009.9.27 別荘のOさんが通りかかりました。わざわざ車を止めて「ヤー見浦さん」と立ち話、私の周辺には立ち話して行かれる別荘の人が多いのです。中にはブログ”見浦牧場の空から”を見ていると云う人まで現れて。
その一人、Oさんが楽しそうに「こんどの日曜日、孫の運動会での、見に行かにゃーいけんけー」と、さらに言葉を継いで「元気でね、よその子供とは全然ちがうんよ」「そりゃー、 土日に田舎で走り回りゃー、元気になるで」「ほうよ、小板に来始めて5-6年、だが人間、変わるもんよの一」 、目を細めて嬉しそうに話す彼に、先日、隣村に息子とトラックを走らせた時の会話を思い出したのです。
最近、どこの田舎を走っても荒れた田畑と空き家が目に付きます。都会へ住居を移して若者や子供達の消えた村々、時たま登校する生徒さんを見かけると「子供がいる」 と懐かしくなる、そんな農村の現状は、若者が消えて、留守を守る老人ばかり、なにしろ60代では、まだ若者と見られる、そんな田舎には女性が多い、おまけに80歳を越える男性は珍しくないのです。
そんな中で住む人がいなくなると、途端に家が腐り始める、外見は同じでも勢いが無くなって荒れた感じがして、何年かすると外見も痛み始めて、ここも無住になったのかと時代の流れを感じるのです。
私の少年の頃は、田舎は子供の天国でした。遊び場も探検場も山積みで、学校とは違った学びの場所でしたね。
お年寄りが他家の子供でも気軽に声を掛け、悪戯が過ぎると叱られました。ロやかましい年寄りには「糞爺、糞婆」と悪口をたれて、優しい年寄りには「どこどこの爺っさん、婆さん」 と敬称?をつけてね。
時代は流れて田舎の子どもたちは都会に消えた、イタズラも消えて田舎は静かになった、そして活力も消えたのです。私の知っている、 いたずらっ子はどこへ行ったのか、老人になった私は、貧しかったが活力があった昔は懐かしく、記憶の中の子供の頃をよく思い出すのです。
テレビが田舎にも普及して子どもたちが漫画にのぼせたのは、あまり昔ではない気がします。そして今はコンピュータでゲームが主役、老人の私には何がそんなに面白いのか理解が出来ません。
でもお隣に出来た小さなキャンプ場、4-5歳の子供たちが自然の中で遊び場を見つけて嬉々として走り回る、そんな姿を見ると忘れていた自然の中の昔の自分を思い出すのです。
そして、豊かになった時代の今の子供たちが本当に幸せのなのかとね。
2020.11.10 見浦 哲弥
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