2020年11月19日

努力すればの言葉

「努力すれば」は誰もが唱える正論で、私の90年近い時間で見た世界は、まさにその言葉どおりだった。しかし、この言葉は本当にその道を歩んだ人だけがロにできる、努力を忘れた人間が口にしてはいけない言葉なんだ。それは反面恐ろしい破滅の近道なのだから。

私の生きた小さな世界でも、天国と地獄が、この言葉を実行するか弄ぶかで現れた。たったこの一言のね。それは金持か貧乏かは関係はなかった、そして身近で起きた。しかも義弟だったから、悲しみは大きかった。これは体験して理解しないと、どんな忠告も空滑りになってわかってもらえないと云う現実、そして、その中から立ち直れるのは、ほんの一握りの人だけという厳しさなんだ。

私は逆境に耐えると云うことを子供のころから学んだ。否応なしに学ぶしかなかった。見浦家の没落で、戦争中の動員中で、短かったけれど広島のお店の丁稚奉公で。逆境の中での生きる難しさを理解できずに不満で一杯だったけれど、大人になって、その一つ一つが教訓として蘇った。そしてそれを乗り越えることしか次の世界にたどり着く道はなかった。理解するまで少々時間がかかったが、幸いこの考え方は私の財産になった、正解だった。おかげで貧乏ではあるが心豊かに暮らせたし、分に過ぎた家族や先生方や友人を持つことが出来た、幸せだった。

でも義理の弟が”あんなことは誰でもできる” と宣って、忠告しても忠告しても自分が正しいと我を張って破滅していった。家族を犠牲にして、言い訳だけロにする悲劇、私の周囲にもそんな人が5人も6人もいた。その人達が口にしていた「アガーなことは頑張リャー、誰でもできる」と言いながら何一つ出来なかった現実、二度とない人生を無駄にしていった人達は、私には教訓だったが。

田舎では忘れることが、思いやりだと誰もが人の失敗はロにしない、そして繰り返す。人は愚かな動物なのかもしれないね。

努力の言葉をロにするのは容易い、しかし、実行することは大変なことなんだ。そして明日からでは駄目なんだ、思い立った今日、今からでなくては。明日からは、言い訳でしかない。

貴方は、この1度きりの命を言い訳の人生にするのか、胸を張って話せる生き方にするのか、この私に聞かせてほしい、私が生きているうちにね。

2020. 7. 4 見浦哲弥



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