2021年1月22日

体力急速低下

人生を最後まで見届けてやると豪語したが現実は甘くはなかった。努力の甲斐あって常人よりもボケの進行は遅いと自負しているものの、その裏付けの体力が伴わない。おー、生きると云うことは簡単ではないんだと痛感する毎日である。

昨日は敷料のバーク (チップ工場の木の皮、畜舎の敷料にする)を取りに行った。勿論、積込みは同行の亮子君(2t車2台でいった)が仕切るので私は運転だけ。往復82キロ、平均時速40キロ、まだ2時間の運転には耐える、左右の確認、信号、歩行者、道路側の認識もできる、ただ道路工事で臨時の停車位置が設けられているのには、対応が遅れがちになった。そろそろ免許返納が近づいたと認識している。しかし25万キロ走った老朽ダンプで過熱を心配しながら、急坂の大谷道をセカンドで登るのには神経を使う。それでもこなせる、と自身に活、あと残された時間は幾ばくもないが、人生の終わりを時間で感じるのは辛いものだ。

午後は荷降ろしで潰れた。何しろ5キログラム以上の重量物を持ち上げる力はもうない。最盛期、60キロの米俵を担いだことは夢の彼方だ。おまけに歩行困難離とくる。残り時間が少ないのに思いだけが空転してね、老いると云うことは生き物にとって現実は厳しい。

それでも私は生きる、最後まで生きる、は苦難の連続だった私のささやかな我儘、何度も投げ出しそうになっても、ここまで頑張ってきたんだ、運命という仕組みが僅かなチャンスを繋いでくれた、これを幸運と受け取らないで諦めたら天の風が「まだ判らないか」と笑うだろう。

しかし、考える力も低下している。文章を書くことも、仕事の段取りのことも。勿論、仕事量は何分の1に減少して能率の上がらないことにイライラすることもあるが、これも生き物のたどる道。近い将来、命が終わる日に 「俺も頑張ったぜ」と胸をはるために気力だけは維持したいものだと思っている。しかし、同じ話を繰り返すようになったと若い連中が笑う、私も老人街道を自身の情勢判断以上の速さであるき続けていることだけは間違いがない。

明日、目覚めるかどうかは神のみぞ知る、そして全力の一日が始まると思い込みながら今日は終了である。

2020.9.7 ここまで生きた、だが体力は急速に低下して、歩行はすこぶる困難、 おまけに長い気管支炎で排たん量が増加してチョコレート色に着色され初めて、1度内科の先生に相談をしたほうが良いかと思ったりしている。

人間の性としては何時までも生きたいと願い、マイナスの面は見つめたくないと努力する、私も大言壮語?の割には凡人での終わりを予感するのは嬉しくない。が、原爆から、もらい自動車事故まで、何度も死神のそばまで流れ着いて助かった幸運は感謝しなければいけない、そして大声で叫ぶ、「辛かったが、いい人生だった」と。

2020.9.7 見浦 哲弥


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