近頃は墓所の近くにゆくと、親父さんとお母さんに「まだ生きているで」と報告をするのを通例にしています。「親父どんの大畠(注:見浦の屋号)を潰すなの命令は辛かったで」と、愚痴を聞いてもらうために。
親父さんが知っている小板の家々は殆ど亡くなって残っているのは3-4軒、田んぼも荒れて大畠の周りの5ヘクタールが昔の面影を残すだけ、お宮は昔の面影を残してはいるものの、学校はなくなって小学校の校舎が残っているだけ、まさか親父さんもここまで小板が錆びれるとは思っていなかったでしょうね。
一昨年、F家の土地が売りに出ました。買い手がつかなくて「何とか出来ないかと」泣きつかれ、信弥さんに返金する予定の資金で買い取ったまではよかったのですが荒れ果てて倒壊した家や山、田んぼ、畑、整理が大変でどうするかと思案中でしたが、東京で働いていた2番目の淑子が早期退職をして会社仲間と山小屋を作って山仲間の宿泊所を作ると取り組んでいます。もう1年近くになりますが、あきれず熱心に働いているので晩年の生き方の一つかと眺めています。私は体力低下がひどくて、余計なアドバイスでお茶を濁しています。
8月26日、今日は50キロ先のチップ工場に敷わら用の木の皮を積みにゆきました。牧場の2トンダンプを動員して2台で。最近、日本でも高齢者の交通事故が多発して、死亡者の話も よく新聞記事になります。運転台に乗り込むのも努力が必要な私の体力ではと心配したのですが、有り難いことに頭の方は確かでセンターラインも道路脇の確認も昔と変わりなく、もちろん信号もよく見えるのです。ただし一般道路の制限速度50キロ以上は恐ろしくて出せない。わたしの愛車のダンプは昭和62年の製造で、中古車で買ったのが平成3年ですから30年も前の代物、高性能の最近の車は私には異質でしてね、この車はよく働いてくれます。
というわけで、午前中は2時間半、午後は2時間働いてへたばりました。でも頭がしっかりしていることは有り難離いことです。ただ老化の進行が目に見えることは余計ですが。
貴女にもう一度会ってお詫びをはじめ、色々と最後の話をしてみたいとは思いますが、贅沢な願いだと諦めています。ま、コンピュータでお会いできたのだからと満足していますが。
もし、あの世とやらがあったら、親父さんと3人で昔話を出来たらなと思っています。
乱文ですみません。ではお元気で。
2019.8.26 見浦 哲弥
0 件のコメント:
コメントを投稿