その牧草地がある場所は深入山の頂上に続く稜線と稜線の間の谷がひたすら峰を目指す、その途中に山葡萄の自生地があってブドウ谷と古人は呼んでいた。そのヤブの下が格好の熊くんの居住地で牧場は彼らの餌場の一部、草刈りに行くと熊くんの通り道がくっきりと浮かんで、所々に新鮮な排泄物の山がある始末、家の背戸の牧場で牛が被害にあっている当事者としては他人事ではない。立ち話のついでに熊君の情勢を知らせて夜間はあまり出歩かないでと要請したもんだ。
人伝に、その人が亡くなったと風の便り、 2-3度話をしただけのお付き合い、私より少しばかりお若いお二人に、何歳だったかなと思っただけで忙しさの中に忘れていた。突然、そのご主人がお出でになった。午後の作業に出かける準備をしているときだった。
最初はどなたか理解が出来なかった。亡くなったのはご主人だと思い込んでいたからだ。 「別荘の○○です、親切にしてもらった家内が亡くなって」と挨拶されても、一瞬理解が出来なかったが、話しているうちに、亡くなられたのは奥様、少し太めの優しい人、通りすがりの牧場の人間の余計な一言を熱心に聞いていただいたと思い出したんだ。
お話を聞くと今は巨大な太田川放水路になった祇園の下流の土地持ち農民だったらしい。土地整理組合で苦労した話をされていたっけ。勿論、広島市の膨張で農地は市街地に一変、環境の激変で散々苦労をされたとか。今はビルを持つ地主さんに変身したが、その間の奥様の苦労は尋常ではなかったとか。彼女がいなかったら私の現在はなかったと、そして彼女が先立っとは想像もしなかったと、そのショックからまだ立ち直れないと心の内を明かされる。
平凡な都会人の気まぐれと思った別荘人にも人知れぬ苦しい人生があった。お話を聞いて先輩面をして、「人間の寿命は自然が、天が決めて、人の力の及ばないところ、悔やんで後ろ向きにならないで前向きに、前向きに生きて頂くことを奥様も望んでおられると思います。"貴方の思い出の中に奥様は何時までも何時までも生きている "、そう信じて残った人生を精一杯、生きましょうや」と申しあげたんだ。名もない田舎の老人の話を聞いて、少しは明るい顔になって「そうですの」と帰られた。
私自身が老境の最後の段階、人に意見を述べる状態ではないのだが、成り行きで、でも元気を出してほしいと思うのは本心である。
2019.2.7 見浦哲弥
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