2022年7月14日

明けまして

2021/1/1 明けましておめでとう。あと50日生き延びたら90歳になる。ヘルペスと、ヘルニアと、常在肺炎と、左足の交通事故の後遺症、まだある、 落ち着いているが日本脳炎のウイルスが体内にいる、こんな体でも、ここまで生き残れる、有り難いとしか言いようがない。

92歳まで生きるという目標を90歳に引き下げて懸命に生きたつもりだが、少しばかり欲が深すぎた。体力の低下がこれほど大きな影響を持つとはね。誰も話してはくれなかった老化の現実、おまけに例年どおり冬も到来して歩行の困難は積雪で倍増、愛用のミニショベルにたどり着くまでが一大事業と相成った。

それでも、まだコンピュータのキーボードは叩ける。切れ切れに浮かぶ文章をより多く残そうと目下懸命の努力中、いつか誰かの目に留まるかも知れないと、僅かな希望を持っているのだが。

しかし、振り返れば90年は長い時間だ。記憶の最初は小学校に入学する年の2月、2.26事件の松尾大佐の葬儀の記憶から84年もの長い時間を見つめてきたことになる。通常、人間の老化は体だけでなく頭脳の老化も引き起こす。いわゆる老人ボケ、死の恐怖から逃れるためにね。これも長い進化の歴史のなかで取得した防衛本能、 私が接した老人達に例外は殆どなくてボケていったね。無謀にも、それに挑戦して最後まで見てやろうと考えたのだから、神をも恐れぬ所業と厳罰に処せられそうである。

しかし、その結果学んだことは、前向に生きる努力を怠らなければ、頭脳の劣化の速度は遅くなるのでは、ということだ。老人になるほど体の諸機能は急速に衰える、その速さは想像以上だったが。

前向きに生きることで、私は今、たどる指針のない道を懸命にひた走っている。毎日起こる新しい現象に、「ヘ一終わりはこんな具合にか」と感心しながらね。それに比べるとお向か重さんが心臓の血栓?で急死したのは、余計なことを考えることなく終わりを通過したのだから、幸せだったかも。しかし、最期に友人の私(思い込みかもしれないが) には一言、言い残したかったのではと想像している。

しかし、人生は苦しいことが山積みだったが、視点を替えてみれば楽しかったこと、嬉しかったことも山積みだった。幸運だけを追いかけなかった、苦難も前向きに何とか耐え抜いたおかげでだと思っている。勿論、 家族を初め多くの人々の協力のおかげと感謝をしているが、素晴らしい人生だったね。

ただ、使い抜いた体は満身創痩、最期まで気力を保てるかは不明であるが、何とか頑張りたいと思っている。

最期に支えてくれた家族に、 先生方に、友人達に感謝の言葉を残さなくては、有難うとね。

本当に有難う、そして残る人達の幸せを心から祈っている。

2021.1.5 見浦 哲弥

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