最近は牧草地で転倒することは珍しくない。左足の脚力が弱くなって持ち上がらなくなった、従って草に引っかかる、そこで転倒ということが多くなったためだ。頭の命令は以前と変わらないが脚が命令どおりに動かない。そこで転倒ということにあいなる。だから牧草の中に害草のギシギシを発見して刈る前にトラクターから降りて除去するという作業が困難になったのだ。刈る前の牧草畑を歩くことなど不可能に近い。それでも刈ったあとや平地ではビッコを引きながらでも歩けて、トラクターの操縦も何とかこなしてきたのだが。
ところが老化は休むことなく進行していた。前夜、トイレに行く途中で見事に転倒した。左足が小さな段差に引っかってね。トイレに行く廊下は幅1メートル、周囲に適当なつかまるものがない。現在の私には体を引き起こすだけの力は右腕しかないので、暫く起きあがる方法を模索したんだ。這いずり回りながらね。大声で助けを呼べば騒動になる、まだそこまではしたくない、頼りになるのは右腕だけ、しかも、全体重を1本にかけても耐えるのはと見渡す、まだ考える力は少々あるのでね。そして洗面台の縁が手頃の高さ、握りやすいと踏んだんだ。ところが洗面台は床に置いてあるだけ、私の体重を引起こす力に対抗できるか、まだ検討する思考力はあって暫く考える。それで少しずつ体重をかけてみて動いたら別の手段をと、寝静まった夜中の廊下での無様な失敗で本人は必死で考えたんだ。幸い試したら動かない、これならと体重をかけて引き起こせたときは嬉しかったね。 1年前までは想像もしなかった現象が我が身に起きつつある。しかも引き返すことができない老化の現象がね。避けることができない生き物の常とは言いながら厳しい現象である。
そんな時に信心という宗教が必要なのだろうが、私にはその道を選ぶ気がない。辛くてもそれが私の人生、素直に終末を迎える気でいる。それが明日か、半年後かは私は知らないが。
2019.9.25 見浦哲弥
今日、お肉を頂戴しに参りました者です。
返信削除おばあさん、ご対応ありがとうございました。
コメントをしている今、目の前には美味しいステーキがあります。
毎度鳥肌の立つ旨さ濃さを持った見浦牧場のお肉を食べれること、幸せに思います。
かれこれ数年、たまたまの出会いから通わせていただいております。
これからも、元気を出したい、踏ん張りたい時に、お邪魔させていただきます。
お体お大事なさってください。