今日はデキスタが活躍している、と言っても貴方は何事か理解は出来ないだろう。デキスタはイギリス製の小さな(当時は中型に属した) トラクター、私が彼を最初に見たのは20代の半ば、広島県の試験場で、どこかは記憶意がさだかではないが、本格的なトラクターで素晴らしいと思ったね。当時のイギリスは農業機械でも先進国、それから何年か後に導入した三菱製やクボタ製は機構的にも設計も加工技術も格段の差があった。同じように戦った日本は頂点の技術では辛うじて対抗できても、末端の技術では雲泥の差があったように思う。特に農業機械ではね。巨大な単気筒の石油エンジンを積んだ日本製の耕運機、ロータリー式はわらが巻き付いてね、耕転式はものすごい振動でね、そこにメリーテーラーなる2.55馬力の耕転機が輸入されて大人気になった。非力だが作業機を変えれば牛一頭の仕事を何とかこなす、これはいけると一大ブームになった。大切にしていた役牛を売り払って購入、 農繁期はこのミ二耕転機でしのいで、農繁期が済むと都会の建設工事の労働者として賃仕事に励んだ。何しろ餌をやらなくて済む、小板も例外ではなくて冬は都会、夏は地元の土建屋、 草を刈る人は少なくなってね、あれが小板崩壊の兆しだった。
おまけに除草剤なる商品まで現れて農作業は確実に減った。やがて日本の復興が軌道に乗ると都会の賃金は上昇、居家離村が始まった。小板も例外でなく、最初はひっそりと、それからは周囲に堂々と挨拶をして離村、農村崩壊の嵐が小板にも吹き荒れた。
さりとて住民も徒手傍観して時代に流されたわけでもない。何とかしたいと思っても、学校教育は経営者を育てるところではない、労働者、いや勤労者を育てるところだ。商売をと考える人も皆無ではないが、変化し続ける経済の理解が足りないから成功する人は限られていた。
そんな農村の中で、稲の刈り取り脱穀が1度にできるコンバイン、生籾から手入らずで乾燥できる乾燥機、等々、新しい農機具が次から次へと登場、農村からの資本流出の流れは止まらなかった。
そして気がつけば日本の農業機械は世界レベルに到達、稲作機械は世界一を標務しても笑われることがなくなった。そんな長い歴史を知る一人として我が家の60年以上前のデキスタが動く、しかもニコイチ(2台の中古機の使える部品を合わせて組み立てて再生すること)の機械がと、考えると感無量である。
2020.10.04 見浦 哲弥
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