でも、時折の夢の幾つかは記憶に残っている、そして関わった人達は夢の中では年を取らないで現れる。いい思い出は懐かしく、関わった人達は笑顔で微笑みかけてくれる。しかし、悪い思い出も蘇る、忘れたい顔も消え去ることは無い。
忘れたい出来事もある、思い出したくない失敗も少なくない。そんなときは、あの時はああすればよかったと、遠い昔を後悔するのだ。
少年や青年の頃の夢は希望に輝いていた。そして生きるという厳しい現実に無謀な挑戦をするのだが、夢は簡単に実現することはない。夢のまた夢、血の涙を流しながら何度も何度も挑戦して乗り越えても、容易に成功の道にはつながらない。それでも乗り越えなければ明日はないと教えられていなかったら、凡人の私はとっくに投げ出していたであろう困難、そして辛うじて終点の老境に達した。しかし、後続の若者たちに「1度きりの人生だ、 我に続け」などと声を掛ける勇気はない。それは辛い辛い道なのだ。それでも人生の終わりに「ああすれば良かった」と後悔をするのなら、厳しい道を選ぶのを止めはしない。たった1度の貴方の人生、歩くのは貴方なのだから。
でも老境になってから反省しても何も生まれてこない、反省しても過ぎた時間は蘇らない、その厳しさを学ぶべきだ。道を間違えれば悲しい人生に直結かも知れないのだから。
夢ははかないが、しばしの安らぎは得ることができる。しかし、現実と夢の隔たりの大きなことよ、でもささやかな憩いにはなる、辛かったがいい人生だったと、「良くやった」と自分を褒めてやろう、夢の中で。
2018.11.17 見浦 哲弥
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