何日かぶりにキャンプ場の進行状態を見学に行く。昨日依頼してあったトイレの建前が済んだのを拝見。さすが近郊の工務店、 親父さんと息子の2人がかりで建前は完成、後は付属工事だけと、電気工事は西田君は免許持ちだから自前とあいなる。
しかし、廃屋の除去から始まって、瀧木の除去、排水と2年余りの時間は環境を一変した。ミニユンボと軽ダンプを使いながらの整地と建設はすこしずつだが環境を一変した。 荒廃した農家の跡地に、こんな素晴らしい自然が隠されていようとは、隣地に居住していた私達も気が付かなかった。目下、排水して整地した平地に芝張りの最中である。日に日に緑が広がってゆく、私も忘れがちの新しい世界が生まれる楽しさが、そこにある。
時はコロナウイルスで人口密集の危険の警告を大衆が予感し始めて、世論の流れが変わり始めた。僻地の小板に移住する奇特な人は少なくても、自然に近づこうとする風潮は一つの流れに成り始めた。人工減少期を迎えた日本は山ボーイも山ガールも高齢化して危険な高山トレッキングは救助費用の高額化、救急体制の人材不足で、 無謀な登山は非難の対象に成り始めた。ところが規制の多い都会の生活の中で、登山と言う自然の接点の味を知った人は、体力の衰えは感じても、あの自然との感触は何物にも代えがたいものらしい。
そこに目をつけたN君とコッちゃん(次女)、 自然が身近に感じられて、交通の便がよくて、電気と水道があってと考えたら案外身近にあった、それが廃屋の藤田屋だった。そこは持ち主の財政の都合でなんとか売りたい、たまたま牧場に接した山林は面積は少ないものの見浦牧場には喉から手が出るほどの場所、しかし、まとまった資金が必要な持ち主は小板の持ち分全部を買い取れが希望、泣く泣く手持ちの資金を総動員、兄弟に不義理になるが止むをえないと、谷底に飛び込む気持ちで購入した土地、その土地にN田君とコッチャンが眼をつけた。
山ボーイ と山ガール、目の付け所は鋭いが、田舎の現実と離れての都会生活は長い。立案したプランが甘すぎる。何でも計画どおり進行するとは工場や研究室の中でも辛いのに、まして自然の中ではだ。それでも取り組んで2年、ある程度の予測が出来るくらいには進行が目に見えるようになった、が、自然は気まぐれ、計画どうりに進行するなどは紙の上のペーパープランと云うやつ、現実は極めて厳しい、それを乗り越えて初めて桃源郷が見えてくるのだと何度も何度も繰り返して話したのだ、そして目標までにはとんでもない時間を費することになるかもと。でも、そんな事を考えていたら何もしないで酒でも食らうか、大ぼらの夢でも見るかしかない、それを義弟が演じて破滅したのだから私も気が採める。
コロナウイルスの蔓延で都会人が田舎に視線を転じたのは私でも感じる、それでも都会が生産性が高くて生活がしやすいのは変わらないが、疑似田舎体験はこれからの流れの一つになることは間違いなさそうだ。トイレも出来て水道も引けてテントを張る芝地も出来上がった。それでも目標の1/10くらいだが関心をよせるお客さんの問い合わせもあって、お盆には未完成ながら一応の開店の予定とか。
8月の小板は夜は涼しくて星空は素晴らしくて、それに見浦牛肉のバーベキューと来れば不足ながら魅力の一つや二つは提供できるかもしれない。その結果は是非開きたいものである。
2020.6.26 見浦哲弥
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