人間、誰しもが幸せを願い、幸運を夢見る、不幸や困難を期待する人はいない、当然のことだ。だが困難や不幸の対極として幸せが存在すると教えてくれた人はいなかった。テレビや新聞で犯罪を犯す若者の記事は多いし、私の友人、知人にもそんな考えを教えてくれた人はいなかった。
しかし、人生を88年も生きて振り返れば、正に50/50の割合で幸、不幸が現れていた。運がいいと思ったら、次は不運がやってくる、それを乗り越えなければ次の幸運はやってこない。ところが人生は方程式のように正確には現れてはこない。不運が続くと、無限に不運が続くと錯覚する、しかし、自然をみると、長雨も無限には続かない、必ず青空がやってくる、その逆もまた同じ。人間は自然のなかの生き物、自然の法則が厳然と適用されているのに、そんな話は誰もしてくれなかった。
幸いにも私はそれに気がついた。資本論もケインズも現代の修正資本主義も、神の如き絶対的権威はない。その中で本当の正論を見つけ出すことは不可能に近いことかも知れない。しかし、考えを一転して地球という自然の子として考えるなら、学ばなければならないことは、ついそこの身近にある。荒れ狂う自然の恐ろしさ、春風吹き渡る限りない優しさ、これが地球の現実の姿。人間の一生も同じように優しさがなければ、受け入れてもらえないし、嵐に耐える力を持たないと生きることは許されない、正に自然は教師なのだ。私はそれに気がついた、それが最大の幸せだった。そして自然の営みが私の判断の定規になって見浦牧場のモットーが生まれた。それは”自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”なのだが、90年近くの人生を振り返ると正に正論だった。
世の中には自分は不幸だと思っている人が多い。運に恵まれない、まんが悪いとのたまう、本当にそうなのか、私には信じられない。子供で独り立ちが出来ない頃の不幸は本当の不幸かも知れないが、なんとか自分で命を繋ぐところまで成長が出来たら、それから先は心がけ次第で道は開けると私は信じている。懸命に生きる、それは生あるものの宿命、それが明日につながるのだ。
人生の幸運と不幸は50と50の割合、努力次第でどちらにでも傾く、そう信じて一度きりの人生を生き抜く、それが貴方だし、私なのだ。
2019.3.28 見浦哲弥
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