2020年11月9日

見浦牧場の初代として

見浦牧場をはじめたのは私が28歳の頃だと記憶している (最近は記憶があやふやになった)。 数えると60年を超す。末息子の和弥が進学をあきらめて小板に帰ってきてくれて、お嫁さんの亮子くんが家族の反対を押し切って追っかけてきてくれて30年余、男の子の孫が三人、 見事な大人になり始めた。

こう書くと順風満帆と思うかも知れないが、少資本の農家が牧場経営に乗り出して成功するのは稀で、この地方で成功しているのは乳牛牧場が1、2軒である。まして和牛の子牛の生産から肥育牛の出荷まで行う一貫経営で成功した話は開いたことがない。しかも見浦牧場はささやかな直販店を3女が経営していて消費者の気持ちが直に伝わってくる。資本的に労働力的に安泰になったとは言えないが一つの形にはなったと自負している。しかし見浦牧場が成功したと認められるのには、 まだ30年も40年もかかるのだろう。その姿を見たい気持ちはあるが、所詮叶わぬ夢である。

もし、私の夢が実現して子供さんたちが「見浦の牛肉は美味しい」 と買いに来てくれる、そんな牧場が出来たら、という思いが私を支えてくれた。恩師の中島、榎野、岡部、3先生方をはじめとして理解して頂いた方々に胸を張って「出来ました」と報告ができる、そんな日の来ることを、千の風になっても見たいと夢をみている。私の生きている間は可能性はないが、見浦牧場100年の歴史と胸をはって言える、そんな牧場が出来たら素晴らしいなと思うのは、私のささやかな夢である。

しかし、一つの仕事を仕上げるには人の命はあまりにも短い。結果は” 千の風” になって空の彼方から見つめるしかない。全力で築き上げたと自負していても、最終がプラスと出るかマイナスと出るかは神?のみぞ知る、である。それでも一度きりの人生、無為に過ごして後悔するよりも、子供たちに自信を持って話す実績を持つべきだ。努力を避けて安逸に流れて飲酒で夢の世界だけをさまよって、人生を悔事だけで世を去る人が小板にも数多くいた。それも晩年は我が運のだけを口実に酒で紛らわす、 そんな人を見るのは肉親でなくとも心が痛んだ。

私の時間はあとわずかになった。未完成の牧場を次に託す、心は残るが人生はあまりにも短い。有意に使わなければ過ぎ去った時間の後悔のみが残る。今度生まれたら、は戯言である。

でも、私は人に話せる自分を少しは持てた。それで良しとしなければ。それは、父母や先祖、先生、先輩方のおかげなのだから。

2020.6.26 見浦 哲弥


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