あれは共同経営の後始末で走り回っていた頃の話だ。理想に燃えて多角経営を共同で始めたのはいいが相手が悪すぎた。義弟のHが逃げの名人とは知らずに家内の弟だからと一方的に信じたのが間違いのもと、自分の不明が原因だから誰も恨むところはなかった。しかし、押し付けられた借金の山には苦労したな。
その折に出会った小さな出来事の一つ。
牧場の開設の話を聞きつけた農機具メーカーのセールスマンがやってきた。「牧場を開設中というので機械の売り込みにこさせてもらった、お隣で実演会を開くのでお宅も見て購入を検討してほしい」と。
正直、逆さに降っても、そんな資金はどこにもない、見るだけならと言っても可能性のない期待をもたせるわけには行かない、私の信条に反すると正直に内情を話してお断りしたんだ。
実際に実演会があったかは記憶はないが、何日かして、そのセールスマンが話を聞いてくれとやってきた。
私は「貴方にはうちの事情をお話してお断りしたはず」と答えたら「今日はその話ではない。胸の内を誰かに話さないと収まらない。是非、少しばかり時間を割いてほしい」との頼みで聞くはめになった。
私が気が付かなかったが実演会は実際にあったらしい。そして今日は売り込みに行ったというんだ。ところがお隣さんはもう他のメーカーに注文したから用事がないと言われたと、悔し涙を流しながら話す。 勿論、 競争の時代だから、価格が折り合わないとか、機械の適合性とか、様々な条件があって買う買わないはお客さんの自由だが、実演会までやらせて一言も挨拶もなくて他社に乗り換える、これには我慢ができなくて、人間のやることではないと、誰かに胸の内を明かさないと収まりがつかなくてと。実演会は当時の金でも10万円以上かかったとか、懸命の売り込みだったのに商品の欠点や価格の折り合いでキャンセルなら諦めもつくが一言もなくて、他社に決めたからお宅からは買わないは酷すぎると。
私は昔、ヤンマーの舶用エンジンのセールスをしていたことがある、付き合いのあった網元の中には空約束で裏切られたことも何度かある、そんな網元は最後は破産して無一文になって路頭に迷った、お隣も必ず破綻する、見浦さんにはこのことを覚えていてほしいと。
うっぷんを吐きだして少しばかり気分の収まったセールスマン氏、「ありがとありました」 と礼をいって帰っていった。見浦牧場の再生に苦闘の連続の毎日で忘れていたが、セールスマン氏の予言どうり、お隣が崩壊するのには20年の時間は必要でなかった、家族は崩壊しー人ボッチで酒で気持ちをまぎらわす、そして「どうがーしてかいの一」と言いながら敗残の身を晒して生きた。
私は、セールス氏のあの悔し涙の顔だけは忘れることができない、「見浦さん、貴方は本当の話をして断った、だから開いてもらいたいと寄った」、今でもあの時の顔は思いだす。
人間は誠実に生きるのが基本、自己中心の一時逃れの生き方では資格はない、でもそんな人が案外多くてね。
お隣さんは「なして、わしゃー運がわるい」と世間を恨んで死んだが、あの世なるところでこの話を思い出したら、今度は真面目に生きてほしいものだと思っている。
2020.7.24 見浦哲弥
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