昨年のG7の外相会議の晩餐会の牛肉が見浦牧場の牛肉と聞いて驚いたのが最初で、広島牛のブランド「元就牛」の一角が見浦牛と聞いて、よくもここまで歩けたものだと感心しています。
私はお金や出世には縁がなかったものの家族には恵まれました。長男が都市生活を選んで牧場経営から遠ざかったとき、一番年下の次男が進学を諦めて牧場に帰ってくれました。その彼に彼女の亮子君がついてきてくれて、孫の男の子が3人います。過疎で崩壊している中国山地で理想の形の家族構成、これは自然の中で懸命に生きた私達夫婦に天からのご褒美と感謝している毎日です。
若夫婦は、あれから30年あまり牧場の原動力として頑張ってくれました。私と彼等とは成長した時代と教育が違います。従って意見が必ずしも同じではありませんが、考え方の基本は同じです。即ち見浦牧場の基本”自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である”を理解し実践している農業者です。激変する日本の山村で探し当てた日本農業の再生の後継者、彼等を得たことが私の最大の成果だったのです。
物差しが同じで目標が同じなら、たどる道筋が同じでなくても、たどり着く目的地は同じ、役割の終わった老人の口出すところではありません。当たり前のことです。ところが私が見た多くの先輩たちの中には目標だけでなく、過程までも親を見習えと強制して後継者を都会に追いやった。農村崩壊の原因の一つには老人たちの無理解が一因だったのかも。
とは言え農村の崩壊を自然の流れと認めるわけには行きません。都会は食料、原料を消費するところ、生産するところではないからです。輸入をすれば事足りると貴方は思っているのかもしれませんが、世界が混乱すればすべてを国外に依存することが、どんなに危険なことか、先の大戦でその恐ろしさを嫌というほど味わった私には恐怖すら覚えるのです。全部を自給せよとは言わないが50-60%の自給率を維持することは最低ラインだと思うのです。
そのための農村崩壊を防ぐには知識だけを詰め込む学校教育だけでは完成しない。実地に農民と接し、自然の中で共に生活して、何が彼等を支えているのかを学ばせなくてはならないと私は考えています。自然の真理を伝える、理解をさせる、都会生活では得ることが出来ない理を体験してもらうことです。
実際の農村の中に生活し、作業を体験し、先達の農民と議論し、自分の考えを修正し発展させてゆく、それがこの狭い日本という国が生き残る基礎の一部だと思っています。都市が発展し、工業が先進国となり、教育が高度化しても、それは日本という国の基礎の全部ではないのです。国が発展すると言うことは建物の重量が増すということ、基礎の一部にでも脆弱な箇所があれば、そこから崩壊するのです。
我が家には小学校、中学校、高校と3人の孫がいて、その教科書が高度化して、教育内容も進化が伺えます。しかし何か大切なことが欠けている、その一つが生産現場への知識だと思っています。
敗戦でゼロからの復興を日本の片隅からとはいえ見つめてきた老人のささやかな意見、貴方に届いてくれればと思っています。
2018.8.18 見浦哲弥
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