脚力が衰えて歩行に努力が必要になり始めたのは、そう昔のことではない。その現象は慣れる時間も与えてくれないで、着実に進行してゆく。そこで「へー老人とはこんな風に終末に向かうのか」と納得しているのだ。昔のご老人はお寺さんの説教を聞いて信心さえすれば、安楽に終末が迎えられるとお寺参りだったが、無信心の私は老化とはこういうものだと日々新たに起こる現象に感心しているだけ、これが間もなく到来する終点まで止まることなく進行する。抗うすべもない老化だが、新しい体験を好奇心で受け止めてやろうと待ち構える、他人事のように。
一昨年まで何とか体力の維持にと懸命にウォーキングに励んでいた先輩の老人方を思い出す。その努力の甲斐もなく老化は進行、現在は植物人間とか、音信も聞かなくなった。そして無住となった茅葺屋根の住宅は雪の下でひっそりと朽ち始めた。今は往年の活気を偲ぶべくもない。同じ老人としての道をひたすらに歩いている私には、生きることを止めた建物の悲しみが伝わってくる。
この間まで子供であった孫たちが見る間に少年になり大人になってゆく。男の子は表情が輝き、女の子は爛漫の花が咲いたようで、遺伝子の一部が私と共通とは想像が出来ない。青春が人生最大の輝きということを、あの頃の私は理解していなかった。今考えると大変な無駄遣いをしていたのかも、というのは繰り言で、貧しかった私にもあの時代はあった、思い返すと心が痛くなることも、希望に輝いていたときも。
思い出に浸っても時は止まらない。人生を全力で走り続けた私は、温かい家族や、目をかけて頂いた素晴らしい先輩方を持てたことが最大の幸せだったと思い返しながら終末に向かっている。
歩行がだいぶ困難になりました。
2018.3.20 見浦哲弥
0 件のコメント:
コメントを投稿