2018年6月17日

前に深入、後ろに苅尾

島津邦弘先生の著書”山里からの伝言に”見浦牧場”の一文がある。
西中国山地の一角、優美な山容を見せる臥龍山(苅尾山)と深入山の間に開けた、標高700メートルの高原、見浦牧場がその舞台である,と紹介されている。その見浦牧場から見える深入山を住民は前深入と呼ぶ。主峰の深入の頂は見えないがとんがり帽子の主峰と東側の中腹のコブは絶妙なバランスで優しい深入山を演出してくれる。西側の稜線は主峰の深入山と重なってイデガ谷の荒々しさは隠れて一瞬火山であることを忘れることが出来る。しかし国道191号線の道戦峠から振り返ると山容が一変する。イデガ谷はまさしく溶岩の流れた跡であつた。

前深入山と深入山の間には半径が約500メートルぐらいの丸い草地がある。火山と知ってから眺めると、これが火口跡だと理解できる。もっとも現在はイデガ谷の反対側に小さなキビレ(谷)があって火口の水は松原側に流出する。集落松原の好意で小板集落の簡易水道の水源として利用させてもらっている。

国道191号線を北上して益田市に向かう。安芸太田町を経て虫木峠のトンネルを抜け松原交差点を左折して約3キロ、樹間から草原の丸い深入山の山頂が見えてくる。草原は昔の放牧場の跡である。春なら草原の丸みの山容は安らぎを感じさせる。ふもとに建つ”いこいの村 広島”を過ぎて標高820メートルの深入峠に差し掛かる。あじさいロードとよばれる国道は、花盛りには都会人でなくとも自然の豊かさに感激する。これが地元の若者流出の一因だった事実を知る私は複雑な思いである。また、冬季はここ深入峠が、191号線では最高の積雪になる。4キロ益田寄りの道戦峠は標高860メートルと40メートルも高いのに積雪はわずかだが少ない。從って深入峠を越えられたら道戦峠も県境の峠もなんとか通れる、地元民しか知らない知恵である。

閑話休題、国道が付け替えられた結果、旧国道と現国道で深入山を一周できるようになった。そして深入山ウォーキングと称して大会が開催される。三々五々カラフルな都会人の流れは一時、中国山地の過疎を忘れさせる。そして独立峰深入山は有名?になった。

苅尾山(臥龍山)は見浦牧場の北面に見える。深入山と違って褶曲運動で隆起した連山である。頂上は平で深入山より標高が低く見えるが、実際は深入山より高い。穏やかな山容で全山を覆った森林は心を癒やす穏やかな優しさを伝えてくる。小板側からは見えないが山頂近くまで自動車道が整備されて登山は易しい。ところが10数年になるか益田の女子学生惨殺の舞台になって住民の間に優しい山容とともに忌まわしい記憶が付随するようになった。しかし、訪れる人には優しい小板のイメージを膨らませてくれる名山である。

褶曲で出来た苅尾山は多くの雨水を吸収して、いたるところに湧き水を供給する。溶岩で水不足だった小板の中で絶えることのなかった湧き水3箇所は深入山の溶岩が及んでいないところ、苅尾山の褶曲岩盤の端だった。

ともあれ友人のS君曰く、「小板はええーところで。深入と苅尾が見えて、季節を味わえてのー」と、同感である。

2018.1.22 見浦哲弥

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