2018年4月25日

老化

老人になりました。もうすぐ85歳、当然のことですが一度きりの人生が限りなく終わりに近づく、随分寂しいものです。

歩行が困難になりました。走ることは、もはや出来ません。急坂は休み休みでないと登れません。時速6キロを誇った健脚も休みながらでは3キロにも及びません。特に左足が痛い。どのような状態か姿見で全身像を見ることにしました。ここ何十年の変化の具合を詳細に見る気になったのは、私には特筆することなのです。

さて、姿見と対面しました。長年、肉体労働を続けていただけあって、上半身は、この年齢としては合格の点数かと思われる身体でしたが、下半身がいけない、O脚なのです。特に左足が湾曲している、これでは痛いはず。そういえば歩行時にも左足を引きずる感がありました。ま、70年間も酷使したのですから当然ですが、まさに老残の肉体、そこまではひどくはないか?

私は15-20頭の肥育牛の飼育が受け持ち、それと草刈、収穫、畜舎の掃除の計画と作業、それで毎日が消えてゆきます。幸い残り少ない人生だから温泉に行こうとか、物見遊山とかいう趣味はありません。仕事でも読書でも、少しでも新しい経験と知識を得られれば満足なのですから、世人とは少々変わった変人なのです。

ところが、ここ10年ぐらいになりますか、高いところが苦手になりました。昔は建前や屋根葺きには、若役として動員されました。ハンドウ(大きなカメのこと、落ちると壊れる)と呼ばれた高所恐怖症のH君ほどではなかったのですが、高いところの作業は志願したいとは思いませんでした。でも、後へ引けない時は高所でも作業をしたものです。が、高いところは足がすくむようになりました。トラックの荷物の積み上げが苦痛になり始めたのです。昔と違って落ちたら頭から落ちると。

最近はウォーキングと称して歩かれる方が多くなりました。年、何回か開催される安芸大田町ウォーキング大会の一つに深入山一周というのがあります。国道沿いのグリーンシャワーをスタートして旧国道を登り水越峠を越して、小板集落に出る、山間の道が急に開けて一望10ヘクタールばかりの緑の集落が開けます。田圃あり、畑あり、草地あり、まだ人の手が入っていて荒地にはなっていない、昔の山村が出現するのです。「わー、ええとこよのー」は大方の意見。ところが大規模林道との交差点を過ぎると荒廃した田畑や建物が現れる、山際に点在する別荘が異様に目立つのです。別荘の住人は高度成長時の日本で成功された人達、そして周りの荒廃した無人の館や荒地は変貌する社会に対応できなくて落伍、都会の底辺に沈んだ小板の人達、一概に即断することは出来ないでしょうが、私にはそう感じるのです。400年の昔、4つの沼の辺に生活の居を定めた4軒の先人の思いは、もはや消えてしまったかの様です。昔は働いても働いても食えないと農作業に家事にと身体を酷使していた老人達も、今は年金制度で働かなくても手当てが頂ける、有り難い事でと病院通いを日課とする、そんな老人が増えてきました。もっと身体を使わないと薬漬けになって、ご愁傷様でしたということになりかねないと思うのですが。

今年も「見浦さん、また堆肥を」と現れた町内の御老人は、もう80近い。畑に堆肥をと来られて、もう20年近くにもなりますか。でも髪の毛が少し白くなっただけで、お元気。もっとも歩くのは辛くなったとか。息子さんの運転する軽トラでこられて、「これから白菜を植えますんで、畑はよーがんすのー」と。

人間は自然の中の一員、近代化のお陰で田舎の人まで野菜はスーパーで買うということになってしまった。自家菜園を推奨する我が家でも時々はスーパー産の野菜が登場する。自家産の味に親しんできた老人には形は立派でも無味無乾燥で野菜本来の味は感じられない。昔の白菜の漬物は今考えると表現できない至上の味だった。勿論、品種改良が見栄えと多収穫に進んだのだから当然ではあるものの、このあたりにも農民の生きる領域がある、そんな感じもしています。

そこで”畑に出よう、自然と友達でいよう、それが幸せな老後につながる”と提唱したのだが、これは少数意見。長い間懸命に働いてきた老後、働かなくても何とか食べるだけの年金と貯金があると、優雅な時間を過ごす老人が増えました。ところが人生の終末は休むことなく近づいてくる。そして怠惰に慣れた老人は急激に衰え病院と介護のお世話になる。そんな老人を見るにつけ、“畑に出よう、自然に会おう、そして適度な労働を”、の私の主張は間違いではないと自信を深めている。

又、愚痴を並べました。能力の低下をいつも確認して、事故に気をつけよう、コンピューターの時間も減らすようにしよう、しかし、仕事は山積している、細心の注意で今日も頑張ろう。

また駄文を読んで下さい。

2017.2.15 見浦哲弥

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