2023年2月21日

町議選

お隣の元町議会議員だったご婦人が亮子くんを訪ねてきた。今年は我が安芸太田町の町議会議員の改選期である。思い出せば私も政治の師、前田先生の勧めで町会議員に立候補したことがある。見事に落選したが私の人生には幸運だった。それはその選挙で人間の裏側をまともに見ることが出来たからだ。応援をすると自己推薦でやってきて見浦には絶対投票するなと運動した自称友人がいて、将来自分が選挙に出るときに障害になりそうだから潰しておかなければとの考えだったようだ、そんな人が何人かいた。世間知らずの私が知らなかった異次元世界の一面だった。 

私は侍の子として育てられた。卑怯なことはするな、弱者には配慮をが母の口癖だった。おまけに親父さんは天下無類の正義漢で、努力する生徒には無償の補修授業を毎晩続けていた。教職を去っても教え子に出会うと異口同音に「先生には世話になって」が聞かれたものだ。私はそれが 当然のことと聞いていたのだが、人生をあるき始めると、その生き方を貫き通すのには強烈な意思の裏付けがなくては出来ないと知ったものだ。 

昭和20年の敗戦で世の中の常識が反転して何が正義かがわからなくなって、社会主義に興味 もった私は当時の社会党に入り加計の活動家の前田睦夫さんの弟子になった。党の会合で労働組合の活動家の議論(幹部連は大卒のインテリが多かったね)を聞く機会が増えて、我が身の知識の欠落を痛感、アダム・スミスの国富論、マルクスの資本論、など付け焼き刃で勉強したもんだ。ところがこれらの経済のバイブルと云う理論も現実の経済の中で四苦八苦の見浦家の実情からは理解ができなくてね、社会党の代議士大原亨先生の末端の部下となって現実の政治を教えてもらったんだ。 

あの時、一度だけ前田先生の熱心さにまけて町議選に立候補したことがある。とは言え実際の地方政治には知識がなかったので、当時、猛烈なインフレで物価の値上がりに庶民が悲鳴を上げていた頃で、このインフレで誰がどんな仕組みで庶民の懐からお金を巻き上げているか、仕組みを話して歩いたんだ。それが大変な人気になって街頭演説に行くと人っ子一人見えなくなる、行きががりでなどで選挙をするものではないな、友人に話したら「物陰を見ろ」と注意された、よく見 と家の影、物の後ろに人陰がみっしりだった。見浦の演説を聞いたと云うことがボスに知れたら、どんな圧力が掛かるか判らないと、隠れて聞いてくれたのだと云う。それを見た味方の候補者がこのまま行ったら自分が危うくなると方針を替えたのたのだとか。選挙は住民の利益を守るためにあると信じていた私だが、保守も革新も自分のために行動すると知って距離を置くことにしたんだ。いい勉強だった。

でも選挙後色んな所で叱られたな。一つは見浦先生の子供だと云うことを言わなかったこと、 2つ目は選挙で見えた人間の裏側が嫌いで、それきり政治の表側には立たなかっこと。 40年も 経って町の反対側の二郷で1度きりで選挙に出なかったと叱られたことなど、見えない信頼は大きかったようだ。政治は勉強はするものだが人間の裏側が見えてしまうのが恐ろしい。大原先生には政治を辞めるなと引き止めていただいたが私の住む世界ではなかった。先生が「農業にも人がいるからな」弟子を辞める許可を貰ったのは16年後、いい勉強にはなったがね。 

遠い遠い70年も昔の思い出、選挙があるたびに自分の判断の正しかったことを痛感するんだ。選挙は清濁併せ持つ度量がないと住む世界ではない、それには強烈な意思がいる。一度きりの私の人生をそれにかける勇気はなかったね。そして農業に人生をかけて、少しは自信をもって人に 話せる世界を持てた、そんな遠い遠い過ぎた日の決断を思い出したんだ。

 一度きりの人生、貴方も最良の道を歩かれることを心から願っている。 

2021.3.3 見浦哲弥 

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