我が事務所に年末から登場した手作りストーブは、それまで活躍していたホンマの軽便ストーブと違って個性の強いストーブである。
我が小板は山の中、燃料の薪は至る所無尽蔵にある。昔は唯一の暖房が囲炉裏で見浦の前身大畠でも大きな囲炉裏に火が絶えたことがなかった。そして土間には天井まで届く薪の山、それが勤勉の証だった。ところが囲炉裏を心地よく燃やすためには乾いた薪が条件、それもマキダッポウとよばれるナラノキが最高、燃えて真っ赤になったオキ(オキ)の上でトロトロと燃える薪の灯りは懐かしい。
ところが我が大畠は素人百姓、雪が降るころに薪が山積みになっている、そんな光景は夢のまた夢。燃えるものならなんでも薪、松あり、杉あり、廃材あり、生木あり。訪ねてきた村人が「ゴッツイ木でがんすの」といったのは、今では理解できる、小さく割る技術がないと呆れていたんだ。ただし煙は人一倍、多量に発生する、茅屋根には都合が良かったとはやせ我慢の弁。
それが炭焼きを始めて副産物の粉炭が多量に発生、囲炉裏に投入され大コタツに変身、潜り込めば冬でも天国と変化した。やがて巨大なボロ家に雨漏りが大発生、修理もままならず小さな住居に建て替えた、それが60何年前である。
暖房は掘りこたつと炊事場の竈(かまど)、それでも家に隙間風が入らないだけ温かったね。やがて時代は変遷して石油ストーブなる商品が出現、我が家でも導入、機器の進化に伴って様々な形の機器を導入し、気がつけば日本は石油ドップリの世界に移住していた。石油は水より安いといわれた時代を通り越して、石油代が家計にずっしりと響くようになった、原油価格の高騰である。勿論、便利が良いということは費用の増大を伴う、しかし人間は一度快適を知ると、後戻りには多大の努力が必要だ。友人に金がなくてとの愚痴ばかりの人間がいた、あまりの羅列に、つい皮肉が出た「まさか君の家は“お風呂が湧きました”とアナウンスするロボット風呂ではあるまいの」と聞いたんだ、彼返事して曰く「そうよ風呂はロボット風呂よ」、「それじゃー、お金が足らんのも仕方がないの」。都会の華やかさを追って収入に関係なく流行を追う、小板も例外ではありませんでした。
便利と言うものはただではやってこない、知恵を絞って如何により良い生活するか、貧乏な私達も他人事ではなかったのです。
小板にも別荘がやってきました。いずれも大小はあるものの都会での成功者、ログハウスあり、北欧風のロッジあり、貧乏な住民には無縁の建物が増え始めました。そして新来の都会人の共通点は住居の一角にストーブを据えつけること、それも何十万円もする北欧製の薪ストーブをね。窓外の雪景色と赤々と燃える薪ストーブの対称は都会人のステータス、この風景は貧乏人には異次元の世界でした。
ところがあるログハウスの住人が「このストーブでも温かい」と紹介されたのがホンマ製作所の簡易ストーブ、ブリキ細工のような薄い鉄板製ながらよく燃え、安いときた。5000円でお釣りが来る、早速飛びついたね。乾いた薪でないとよく燃えない、煙突に煤が溜まりやすい、など欠点はあるものの我が家の事務所には欠かせない道具になったんだ。ところが2―3年で錆びて穴が開く、錆びにくいステンレス製の同じストーブも売られていたが値段が倍額になる、踏み切れなかったね。
話は変わるが我が家は肉牛を販売する畜産農家である。雪の多い冬場は市場に出荷する肉牛が汚れやすい。対策として40度位のお湯を沸かして洗うという方法を採用している。最初はドラム缶を半分に切った鍋にお湯を沸かしていたが、寒い冬では一大作業になる、それでも貧乏牧場は湯沸かし器を購入する資金はない、今でも思い出したくない仕事の一つだった。何年かして建材屋の友人が給湯器の故障品があるがと声をかけてくれた。新品だと何十万の機械が冬季の保守が悪くて凍結したのだとか、早速飛びついたのは言うまではない。自動運転の部分は手動で、バーナーは風呂用を利用して、幸いメーカー製でタンクの部分は大きな問題がなくて、このお陰でどんなに助かったことか。
何年かすぎて北広島町の建材屋にコンパネを買いにいったんだ。帰ろうとしたら軽トラが中古の風呂用ボイラーを積んでいる。「これをどうしんさるんか」と聞いたんだ。運転手曰く「ボイラーの調子が悪いと言うで、取り替えてきたんだ」「その古いのはどうするの」と聞くと「スクラップ屋へ持って行く」しめたと思いましたね、「儂に売ってってくれろ」「売ってもいいが足代くらいほしいね」「なんぼね」「1000円」やったと思いましたね。もっともスクラップにと乱暴に取り外した機械、動くか、ゴミかの自信はありませんでしたが、持ち帰って経営主の和弥に見せると動くかもしれんのと取り組んで、「親父動いたで」と直してくれた時は嬉しかったね。以来、牛を洗う時のお湯の心配は見浦牧場からはなくなったんです。
さて今まで使っていた湯沸かしボイラーはお役目御免となりました。ところが古いとはいえ山口のボイラー専門工場の製品、頑丈な作りで何とか再利用できないか頭を絞ったのです。
昨年末、ストーブへの転用を思いつきました。取り掛かって分解したら外側の鉄板が頑丈、これを利用することにしました。燃焼室と1/3の予燃焼室を溶接で作り上げ、下部に煙突の取り付け口と反対側に焚き口と空気孔をつけて完了、天井は2/3は開口できる様にしたのです。早速、事務所に据え付けて試運転、火力も強く実用になリましたが、燃え方に癖があって慣れるまでが大変でした。薪は小さく割らなくても燃えるし、着火さえすれば乾いていなくても燃えてくれる、そんな個性の強いストーブでした。ただ少々大食い、薪を選ばない特徴は、雪が消えたら山の整理に力を入れろと教えています。
たかが廃品利用のマイストーブ、ところが着火の方法から薪の燃え方まで様々な対応を要求する、これからも新しい発見が出てくるかもしれない、老人の頭の体操には最高の仕事でしたね。
そして思ったことは、老人だと後ろ向きにならないで、可能と思われることには、挑戦してゆく大切な教えでした。
2018.1.9 見浦哲弥
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