ここでは某家と言うことにする。ある日仏壇の手入れなるセールスがやってきた。世間話の末に「仏壇を見せてくれ」と言い出した。ま、見せるだけならいいかと見せたら、延々と話が続きだしたんだと言う。気がついてみたら大金で仏壇の修復の契約をしていたとか。これはまだいい。修復された仏壇は見事に綺麗になったと言うから、まんざらの詐欺ではなかったようだ。金額は話してもらえなかったがね。
ところが、それから物売りのセールスが次々と訪れるようになったと言う。話を聞いていると何時の間にか買わされている。豊かでもない財布から虎の子が次々と消えて娘さんにも話せない買い物まである。さすがにご主人に先立たれて1人暮らしの奥さん、これは変だと気がついた。これは狙われている、あの連中は横の連絡があるなと。そこでテレビつきインターホンをつけ、在宅時は日中でも戸締りを厳重にした。ご当人、こんな田舎でも戸締りをしないと狙われるなんて、世の中どうかしてないかと、ぼやくこと。ところがあそこが駄目なら1人暮らしの老人宅はまだあると、他の家にセールスの訪問が多くなった。住民が減って世間話の相手がいない現在、口のうまいセールスにとって年寄りを騙すことなど赤子の手をひねるようなもの。今度は田舎に老人だけ置いている都会の子供達が神経を使っている。
幸いと言うと語弊があるが、現在の小板のご老人は、いずれも資産家でない。それでも危ないと、当座の生活費以上のお金は持たせないようにと、配慮する家庭が多くなった。若者は都会に生活の場を持つので、月の大部分は老人の1人暮らしなのだから止むを得ない措置であるが。
それでもセールスがやってくる。老人の家ばかり回る物騒な車がね。最近は詐欺師も近代的に進歩して手段も巧妙。ならばと、私達も見慣れぬ車が老人宅に長時間、停車すると車のナンバーを控えて対抗することにしている。デジカメやスマートホンの時代、イナカッペと馬鹿にするととんでもない仕返しが待っている。小板は老人ばかりだとあなどると痛い目にあうと予告しておく。身構えて対策を立てているのは一人ではない。
一時、無住宅の倉荒しがこの近辺を襲ったことがある。その頃は、この山の中まで泥棒がお出でになろうとは夢にも思わず安心していて見事にやられた。それまでは不審な車の長時間停車は関心を持たれなかったが、詐欺や泥棒の被害が出るに及んで、住民の目が厳しくなった。衰微したとは言え、長い間助け合った歴史は遺伝子の中には残っている。馬鹿は助けないが正直に暮らしている老人に手出しする奴等を、なんとか手痛い目に合わせようと、手ぐすね引いている人間が何人かいるのだ。小板を舐めないで欲しい。
そのせいで最近は詐欺師にやられたという話は聞かない。美味しい話が大好きという人達もいなくなって、年金暮らしの老人ばかりでは、労多くして・・・・という情報が出回ったのかもしれない。
それでも、見慣れない車が止まるとカメラを持った住民が物陰で注目する。
詐欺師諸君、小板は危険地帯に変身したんだ。
2016.1.4 見浦哲弥
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