2018年3月25日

心遣い~食肉加工場の建設~

3女の律子が我が家に帰ってきて、新しい風が吹き始めました。この人は20年余り以前に犬山の斉藤精肉店で2年働いた経験がある。斉藤さんは私の生き方を朝日新聞の記事で読んで共感し、サラーリーマンから転身して成功された人。訪ねてこられたこともある。特別に御願いして家族の中で働かせてもらった。それから20年、姉、祐子さんの会社を手伝うことで、ミニ新聞社の経営、販売、営業、など様々な業種をこなしてきた。ふと気がつくと世の中は電子化で新聞事業は斜陽化、社業縮小で居場所がない。そこで手についている牛肉の加工技術と調理師の資格を生かさない手はないと、牧場の牛肉を売ってやるかということになった、と私は理解している。

時は農業も6次産業化が必要と騒がれている時代、見浦牛肉の味はテスト試食の段階でもファンは多い。何時直販をするのかと声がかかってから久しい。もとより人生終末の私が音頭を取るわけには行かないが協力は出来る。限られた乏しい資金の中でのやりくり、できるだけ、手作り、中古品でスタートしようと一決、加工場の建設が始まったのである。

さて、場所は見浦家が大規模林道に面した崖、役場との交渉や登記で時間がとられて、和弥がユンボを操作して崖を崩して敷地づくりが始まったのが5月、基礎、床のコン打ちと始まった。職人ではないから仕上げは見事というわけには行かないが、何でもこなす見浦牧場の面々、敷地が出来、図面も出来上がって、基礎コンも、型枠作りから生コンの流し込みまで家族でこなす。何とか出来上がって、今度は建築材木の手当て、久方ぶりに山に入ると荒れた山でも自然木の松や杉で一杯、牧場の周囲の山だけでも充分すぎるほどの立木、さてこれを伐採して製材にかけないと、と思案する。なにしろ小板の近辺から製材所が消えているのだ。経済大国になったとかで、国産の木材を使うよりは外国の加工済み木材を買うほうが合理的だそうで、中小製材所は仕事がない、従って倒産廃業と言うことになって、近辺には20キロ離れた芸北の細見に1軒あるのみ。それも毎日は営業はしない。若い時に簡易製材所を動かしたこともある私は「機械がありゃー自分でやるがのー」と悔しがるばかり。

ところが工事場の前を芸北運送の社長が通り過ぎた。早速、電話がかかってきて、何を建てるのかと問い合わせ、斯く斯くしかじかで食肉の加工場を作ることになった、と返事すると「手持ちの製材品があるので使って欲しい」と。10年余り前、倒木が多量に出たときに製材した桁やタルキ等々、倉庫の邪魔にもなるので無償でやるから取りに来いと。続いて郵便配達の山根さんが、先年、道路の立ち退きで家を解体したときのサッシが取ってあるので使って欲しいと。別荘の真田さんも不要の材料があるからと。同じく大野さんも使えないステンの業務用の流し他を無償でと。何時の間にか建物の半分以上は材料が揃って工事が始まったんだ。

勿論、屋根や壁は中古品というわけには行かないが、皆さんの好意で材料の大部分が揃ったのだから、人生は日頃の生き方が大切だ。

基礎つくりは手作り牛舎の経験でお手のもの。水平作りも、最初のころは長い樋に水を張ってなどと笑い話をしながら、簡易とはいえ測量器で簡単にだす。型枠を組み立てコンクリートを流し込む。大工さんは長年付き合いの斉藤さん、高齢で緻密加工とは行かないが施主の無理がきく、私たちのとんでもない要求にも対応して無理な加工もしてくれて、問題がおきると大工さんと息子と私の3人で「エイヤ」と解決、それで20年も30年も持ちこたえる建物ができる、見浦牧場の最良の友。こうして低価格で使用可能(保険所の検査が通る)な加工場の建設が進んでいった。

とは言え、牧場の作業は、工事とは関係なく毎日進行する。そのやり繰りをしながらの建築は、なかなか思うに任せない。何とか建前を済ませて、屋根を葺いて、外装をして、内装にかかったのは10月に入って。計画では10月には完成、11月には保険所の検査に合格して仕事を始めようかが、遅れに遅れて、ようやく内装に。大工さんもあちら、こちらの友人の大工さんに声をかけてくれるのだが、皆さん高齢、鬼籍に入った人もいて、仕事よりは年金生活と応援の人がいない。さればと10月5日から家族の素人大工を総動員、律ちゃんと和くん(カックン)と3人で天井はりを始める。素人の悲しさ、最初の仕事と終わりでは仕上げに格段の差、プロのようには行かないが仕事は進む。それで、それから一ヶ月、雨降りは加工場の方へ全力投球をすることに決めた。

市場経済の議論をする気はないが、”投資は最小で最大の効果を”は原則である。建物は加工場であるかぎり食品衛生上の要件を満たせば豪華である必要がない。勿論、法律の範囲内に収まらなければ保険所は許可を出さないが、その限界が何処にあるかは、私達は素人であり、大工さんも始めての経験で知識がない。そこで堂々巡りの議論が始まる。特に内装工事が始まって喧々囂々、結論が出ない。そこで保険所に電話、16日にアドバイスに来てくれることになった、一歩前進である。

ここまでに、今回の加工場の構造の説明はなかったので、概容を記すことにする。

加工場は6メートル×8メートルで48平米、屋根はガルバニュームの波トタンぶき、外壁はカラートタンの乾式構造、屋内は倉庫、食肉加工場、食品調理場の3室、律ちゃんが働き易いようにと計画した。

ところが、骨組みの材木が貰い物で多少寸法が違う。大工さんが何とか組み上げたのだが、内張りの段階で修正の箇所が出て余計な手間がいる。壁は乾式構造なので、ラス板を張って断熱材を入れてボードを打ちつける。投資は最小にがモットーだから天井も壁も保健所の審査基準すれすれの材料、これが大工さん気にいらないと不満を並べる。それをなだめるやら、すかすやら気使いも大変である。

10.16 保健所に御願いして内検をしてもらう。広島から婦人の検査官が来場、親切な人で判らなかった問題が解決、仕事が軌道にのる。電気屋さんにも見積を御願いして、内張りも完了して床を仕上げ塗りをしてもらって、器具の搬入を始める。やっと終わりが見え始めた。

ところが意外なところに問題が発生、電気工事を依頼した会社が、合理化と過疎化で広い芸北地区で作業員がいない。中電を定年退職した社員に臨時で依頼しているのだが、高齢化で現場に出れる人は二人とか。これで旧6ヶ町村をカバーしているというから大変、新規工事で作業中でも故障修理の依頼が入ると飛んでゆく、それが並みの距離ではない、中国山地の過疎化がこんなところまで影響しているとは。電気工事が完成したのは12月に入ってから。それからガス屋さんに依頼して工事が完成したのは12月の19日、外は60センチの積雪だった。あとはレンジフードの取り付けだけ、年内に保健所の許可を貰うことは不可能になった。

ともあれ加工場の話が持ち上がって1年が経過した。何もなかった処にチープな加工場が出来上がった。巷間、かしましい6次産業には程遠いが小さな牧場の小さな挑戦が始まる。見浦族のささやかな旗の下でね。我が先祖はどう評価するのか、もうすぐ聞けるかもしれない。

2013.12.22 見浦哲弥

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