2010年3月6日

プラスマイナスゼロ

見浦牧場に配合飼料(トウモロコシやマイロ、ぬか、油粕、等々を子牛用、成牛用、肥育用に配合を変えて調整してある飼料)を運んでくるバルク車(ばら積みのトラック)の運転手さんの愚痴を聞くことになりました。
彼はこの定年間近、この道一筋に社会の底辺を支えたまじめな人間、娘1人の3人家族を懸命に支えて生きた、そして60歳を過ぎて晩年、ふと周りを見渡すと恵まれた環境の同年代が目について、”なんでわしばっかり厳しい人生を送らにゃーいけんのんかいの”と気持ちが暗くなってと、話されたのです。

彼が見浦牧場に飼料の配送に来始めてもうかなりの年数がたちました。これまでそんな内面的な話しをされたことはなかったのに、ふと私に愚痴を漏らされた。
これも出会いのひとつかと思って真正面から対応することにしたのです。

最近読んだ天文学の本に、宇宙は真空の中から生まれたというのがあります。
何もない真空という空間も、ある衝撃が加わるとプラスの粒子とマイナスの粒子が現れる、たまたま近くにブラックホールがあって、マイナスの粒子が吸い込まれると、プラスの粒子だけが残り、物質が誕生する、我々の宇宙はビッグバンでこのようにして誕生したと。

人間の人生も同じではないかと思っているのです。幸せなことも、運のいいことも、不幸や、辛苦の積み重ねも、加え合わせると、プラス、マイナス、ゼロになるのではないかと。

私が暮らした小さな小板もそんな見方で振り返ると、まさにそのような解釈ができる実例が山積みです。
お金持ちでわがままで自分中心であのくそたれと憤慨されたあの人も、結果は大変不幸だった。

クラスメイトで優等生で弱い同級生をいじめる奴がいました、その彼は30半ばで傷心自殺。

いじめられてもいじめられても笑顔を絶やさなかったM君は貧しいながら心豊かな老後を送っている。

友人に「お金がない、貧乏だ、不幸だ」が口癖の友人がいました。
私が「食べるだけお金があって、なんとか生活していければ、それだけでも幸せなのでは」というと烈火のごとく怒りました。「お金があれば何でもできる、なんでも買えるんだ」と。
その彼も年には勝てず、痴呆になって人生を終えました。その晩年はお金では買えなかった。彼は私の言葉を思い出してくれていたでしょうか?

人生にはお金の価値だけでは計れない、心の幸せがあります。物質的な面と精神的な豊かさを合わせて考えると、プラスマイナスゼロの方程式が成り立つと考えているのです。

そして、それがビックバンという宇宙の大原則にも一致すると思うのです。
もしかして貴方は幸せは物質的な面だけと考えているのでは?それでは前述の友人と同じではありませんか。「なして、わしゃ、ええことがないんかいの」と悔みながら人生を終えることになる。

私の人生はもう限りなく終わりに近い。思いもかけず与えられた長い時間で、周りを振り返るとこの方程式が浮かび上がってきたのです。それがプラスマイナスゼロの法則だったのです。

うまい話しのなかった私も、考えてみれば何度も死線を越えました。そう考えれば幸運のほうが多かった恵まれた人生だったのかも。喧嘩をしながらですが暖かい家庭も持てましたし。

運転手さんに申し上げました。「奥さんに不満があるのかな」「家内に不満なんかはないよ。料理のうまい人での。」「娘さんはどうですか」「孫が可愛うての。」
「それなら少々収入が少ないのは仕方がないですね、私の理屈からいうとプラスマイナスプラスで幸せなのでは」と申し上げたのです。
彼曰く、「そう考えたことはなかったの、私は幸せなのかもしれませんの」、と。

今日は、見浦風の屁理屈、人生はプラスマイナスゼロの話しを聞いていただきました。

2009.6.14 見浦哲弥

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