とは言え、寄る年波は確実に体力を落としてくる。おまけに記憶力も低下してトラクターのレバーの操作で一瞬迷うことが出始めた。友人だったF君は70代で田圃の中で立ち往生、どう操作すれば動くかを忘れたのだ。どう考えても思い出せず、お隣にトラクターが故障したと訴えた。調べてみたら操作を失念しただけで笑い話になったが、本人はそれを機に痴呆が進行し始めたのだから笑い事ではない。
私は当時の彼より10歳以上高齢、当然ボケ老人と言われても不思議はないが、2度とない人生であるから、1日も長く現役でいたいと努力している。
と独り言をつぶやきながら毎日を働いている。吾輩は人間だから失われてゆく能力を如何に補って補足して行くか、そのくらいの知恵はまだ健在だと自分に言い聞かせながら毎日を送っているのだ。從って毎日の仕事を100%までとは言わないが70%位はこなしていると自分に言い聞かせている。人はお世辞に「元気なのー」と言ってくれるが、これはあてにはならない。
が、自然は厳しくて無情である、そして確実に知力と体力を奪ってゆく。だから夕方には「しわかったのー」と自然の溜息が出る。そこで自分が普通の人間であることを再確認するんだ。
しかしながら意地っ張りで強情で自他共に認められてきた私である。足が痛くとも、疲れていても、対策を立てて頑張る、考えて見れば随分意地っ張りの生き様だった。その結果でもあるまいが見浦牛の評判は中々のもの、テレビで幻の見浦牛と評された、これは家族全員が長年頑張ってきたお陰、従って「疲れた」と言いながら最後まで頑張ることにしているのだ。
2017.7.15 見浦哲弥
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