そして今日は開催日、9時頃から道路に人影が。日頃人影の少ない旧国道にウォーキングとはいえ賑やかになるのは心楽しいものである。それに若者の途絶えた道にカラフルなウェアが続くのは、往来の激しかった昔をしばし偲ばせる。
それにしても時代の変化の大きさに驚かされる。道路が整備され、公共交通が不必要なほどマイカーが普及して、歩くことがスポーツになり始めている。戦時中の動員で北広島町新庄にあった宿舎まで徒歩40キロあまり、休憩時間を含めて10時間かかった。勿論、歩き難い砂利道は子供にとって遠い異次元の世界と感じたものだ。
我が家の孫くん3人のうち下の二人が10キロコースにチャレンジした。ところが4キロでダウン、家に走り込んでゲーム三昧、日本の将来を思うと背筋が寒くなる。少子化で子供を甘やかしすぎると思うのは老人のひがみか。
考えてみれば旧国道が賑わうのは”しわいマラソン”と”深入山ウォーキング”だけ。戦中、戦後の、悪路に国運と生活を委ねた賑わいは、繰り返したくはないが、懐かしい。
我が家から旧道の峠まで約2キロ、(峠から谷に沿って下る急坂(オシロイ谷)があって徒歩の時は、このコースを歩いた)松原の高等科に通った2年間、お世話になった道である。自然が一杯でね、ムササビを見たのも、ドンビキと呼ぶ巨大なヒキガエルを見たのもこの道だ。もっとも人権もへったくれもない戦時中のこと、勤労奉仕と称して遅くまで作業をさせられて、明かりもなくて夜空を見上げて頭上の隙間に導かれて帰った道でもある。自動車が普及を初めて、オシロイ谷の近道の人通りが途絶えてから40年近く、細い山道はヤブの中に埋もれて知る人以外は道の存在も忘れ去られた。
深入山ウォーキングは旧国道の車道を通って深入山を一周する。秋日和ならば絶好のハイキングコースだが、この道にまつわる物語を語る人はいないし、誰も知らない、ただ歩くだけ。100年あまりのこの道の歴史は、日本の近代史の一部と重なっているというのに。
時代が進んで便利になったのは有りがたいかぎりだが、歩くことが少なくなって要介護の老人が増えた感じがする。新聞の老々介護に疲れての心中やら殺人と言った記事を見ることが多くなった。他人事ではない、懸命に生き日本の復興に力を注いできた人生、その功労の報酬に人に迷惑をかけないで、ひっそりと旅立つのが理想である。私は小5から働き続けてきたのだから、せめてそのぐらいの我儘は聞いてほしいものだと思っている。
今年も無事、深入山ウォーキングは終了した。ただ歩くだけでなく、私の提言の一部でも聞いて欲しいと思っている。
2016.10.2 見浦哲弥
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