2016年12月13日

山口六平太

山口六平太は我が家の愛読書の漫画である。それぞれに趣味の違う我が一家が、唯一全員で愛読している漫画である。
時折、書棚に並んだ蔵書の山口六平太のシりーズからランダムに取り出して読みふける。ご存知の通り、この漫画は主人公の山口六平太を中心に悪役の有馬係長、その他の人物が登場する、そして何処にでもある人間関係がユーモラスに描かれている、そして何処にでもありそうな社会生活の一面が読者をひきつけてヒットしたんだ。

読み返してみると、まだ壮年だった頃の書感と人生を振り返っている現在とでは微妙にインパクトが違う。そして作者も年齢を加えるにつれての経験から、この本の当場人物にも成長があり、停滞がある、そんな人生の縮図が描かれていて、読みふけるほど、親近感と嫌悪感が深くなる、そして私の人生の中にも有馬係長が何人もいたし、山口六平太に近い人も何人かいたと、思い返しながら読みふけるのである。

しかし、何度読んでも有馬係長は憎らしい、それが現実に私の周囲にも居た実在の人物と重なる、思い出しても気分が悪くなる。

世に言う目立ちたがり屋君はどこにでもいる、実力はないのにしゃしゃり出るものだから、欠点が目立って人が心を開かない、ご本人もそれが弱点と、ご存知なんだが、それを認めて修正する勇気がない、だから周囲の人をあげつらって陰に陽に攻撃する、そんな人を私は知っている、でも素直に自分を見詰めさえすれば素晴らしい能力も持っているのに、それを見失って人生を失ってゆく、悪役有馬係長にも同情の感情はある。

人間の能力は人それぞれである、能力の範囲内で誠実に暮らせば大きな失敗はない、そして持てる力を100パーセント出すように努力すれば、育ててくれる人が何処からとなく現れる、若い頃は、そんな話は夢物語だと思っていた、が、年齢を経るに従って、それが本当だと思えることが我が身におきた、一つだけでなくてね。

大畠(見浦家の家号)は私で9代続いたと親父から教えられた、(小板でもっとも古いのは西という家だが小板では絶えて今は雄鹿原で血が続いている)小板のもっとも古い血筋とはいえないが血筋が続いたのは我が家だけと。

栄枯盛衰を繰り返した家系だが辛うじて遺伝子だけは繋がった。私の代は衰退の時期で逆風の嵐のなかで苦しんだが、懸命に生きた御蔭で暖かい励ましと指導の先生方に恵まれた。その御恩返しにと、懸命に生きる人達に私もささやかな応援を続けてきた。本当に取るに足りないことばかりだったのに、見浦にというファンがいて驚くことがある。漫画の中でも六平太が起こす小さな出来事が読者の共感を呼び、それがが彼が社長になったらと期待を膨らます。ところが作者も商売で山口六平太が社長になったら物語が終わると出世をさせない。このいたちごっこは何時まで続くのか、いい加減に社長にしないと、たとえ漫画でも理想の社長像を読めないうちに人生が終わりそうである。

漫画でも本書だけは愛読している。人生のペーソスをほのかに感じさせてくれるからだ。しかし、大いに不満もある。繰り返すが六平太が何時までも社長にならないことだ。こんな人物が身辺にいたら是非とも友人になりたい、教えを請いたい、そう思うのは私だけではないはず。この漫画のファンは、そう考えて読者になっているのだから。こんな人が組織のトップになったら、なにが起きるのだろうか、たとえ漫画の中でも、どんな物語になるのだろうか、そのストーリーを想像しながら新刊を待つのだが、依然と総務課の平社員の物語がつづく、大いに不満である。


2016.1.31 見浦哲弥


追記:2016年11月14日、インターネットが六平太の著者が死亡したと報じた。従ってこのシリーズは終了すると。”六平太”の社長就任を夢見て愛読してきた私は長年の夢を絶たれて空想するしかなくなった。
しかし、私の人生と重なった長い時間、大いに楽しませてくれた”山口六平太”の作者の一人、高井研一郎先生には感謝の言葉を贈りたい、「長い間有難うございました」と。

0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の記事