地元で暮らしている住民は残り少ない好天をいかに有効に使うかと懸命なのですが、三々五々風景を楽しむ都会人を「ええことよの」と羨望の眼で見送るのです。
でも誰もお互いに話しかけない。住民も観光の都会人も、ただ通りすぎるだけ。せいぜい目礼をするのが精一杯か。何故なんでしょうね、同じ言葉を話し、同じ教育を受け、同じテレビを見ているのにね。
幼年期を都会で過ごした私には、その垣根が見えないのです。ちょっとしたきっかけがあれば、ちょっとした会話をすることにしています。それが大変喜ばれる。なぜ皆さん、それに気がつかないのか、私は不思議に思うのです。
確かにこの地方には方言がありました。広島弁も独特ですが、その上にもう一つアクセントの違いがありました。当時は小学校から標準語で話せと厳しく指導されていたので、心の中に地元の言葉に劣等感を持つようになったのかも知れません。
方言は地方、地方に存在します。私が生まれた福井市と育った三国町ではアクセントに違いがありました。転校した小3のときは言葉の意味が理解できなくて困ったものです。でも同じ日本語なんだから、すぐなれて話せるようになる。私が方言に抵抗感がないのは、そのせいだと思っているのです。
現在の日本人は誰でも標準語を話します。でも小さい時から地域の方言に親しんでいた地元の老人は都会人と見ると標準語でと身構える。それで話の範囲が狭まるのです。それを聞かされるほうは興味が薄れるのは当然でしょう。
道端で作業をしていると話しかけてくる都会人がいます。田舎の風情を楽しんで歩く人は見ているだけで心が和みます。そして一言、声をかけると大抵は答えが帰ってくるのです。そして話が続いてゆく。小さな山間の高原にも歴史があります。取るに足らないような話でも、それが都会人の知識と関連してくると、俄然興味が湧いてくるのです。例えば聖湖の湖底に沈んだ樽床部落は平家の落人の末裔とか、同じ三段峡の支流の横川は樽床の人とアクセントが違います、さて?とか、それから小板は尼子氏と吉川氏の古戦場で地域の中の地名の戦いの後が偲ばれるとか、眼前の深入山は死火山で小板川の川底を見るとその片鱗が見えるとか。
ただ何となく散策するのと、それなりの知識を持って歩くのとは風景も変わって見えるはずです。それを提供するのは小板に住む住民の小さな責務と思うのですが。
紅葉の頃は柴栗が落ちる頃、市販の大栗とは違った味の濃い柴栗の季節は、山からのささやかなプレゼントです。小板の山がまだ柴栗で覆われていた頃、栗拾いは重要な秋の仕事だった。何しろ一日の20リットルから50リットルも拾う、水につけて虫を殺して乾燥して仲買人に売る、立派な収入源だったんだ。
それが或る年、クリタマバチがやってきた。あれはまだ新緑の頃だったね。八幡の方から栗の木が枯れ始めたんだ。それがクリタマバチ、新梢の芽の根元に卵を産み付ける、孵化した幼虫は樹液を吸収しながら成長する、だから樹液の行かない新梢は枯れてしまうんだ。そして幼虫が成長するにつれて、その部分が玉になる。それでクリタマバチと呼ばれるんだ。新梢が伸びないから葉が出来ない、辛うじて葉になっても小さな葉で幹の栄養を補えない、そして枯れるというパターンだった。見る見る柴栗が枯れて山が茶色になった。これで柴栗は全滅かと思ったんだ。
ところで、その当時は「進化」という現象は専門書の中だけと思っていたが、現実にその存在を見せてくれた。栗の木の中に枯れない木が出てきたんだ。クリタマバチに寄生されても虫頴(幼虫が住み着いた幼芽)が大きくならない。そして幼虫が死んでしまう。そのほかクリタマバチが寄生しない木もあったんだ。特に栽培する大栗は強かったね。
そんなわけで生き残った柴栗のおかげで今年は例年になく豊作。勿論、全盛期には比べようがないが、道端のそこここに栗が落ちている。都会人が大喜びする自然がそこにある。10月10日は恒例のウォーキング、色づきはじめた風景と木の実が都会人を満足させるだろう。
2015.10.8 見浦 哲弥
0 件のコメント:
コメントを投稿