ところが聞き手の中に友人の娘さんがいた。
彼女曰く、「私の知らんことばかりだった」、「おい、おい、あんたは小板で生まれたんぞ」、「それでも見浦さんは算数しか教えてくれんかった」
そこで気がついた。今日は深入山が死火山だったことも話そうと思ったんだ。それを完全に失念していた。
それで「深入山が火山だったことは?」と聞くと「えっ、ほんま」と、のたまった。その言葉で深入山の話を書かねばなるまいと思ったんだ。
深入山は国道191号線と旧191号線(現在は町道)が麓を取り巻いて走っている独立峰。広島側の松原から走ると柔らかな曲線の山峰がみえる。転じて島根側から道戦峠を越えると深入山の主峰と前深入と呼ばれる副峰が眼前に迫る。そして地元の住人が"イデガタニ”と呼ぶ巨大な深い谷が見える。
私が深入山が火山と知ったのは、そんな昔ではない。「ありゃー死火山ど」と教えてくれたのは誰だったか忘れたが、それまでの様々な疑問が解けたのだから、あの一言は強烈だった。
それが前述のイベントでの話に結びついた。
小板川の上流に一枚岩の川底が500メートルばかり続くところがある。地元の人がナメラとよんでいた、川遊びでヒラベ(イワナ)追っかけて川を上ると行き当たる、魚の隠れる溜りがなくて、たまの溜りも小さなヒラベしかいなかった、刈尾山側の六の谷とは異質の川だった。もしかすると、あれは溶岩か?と思ったんだ。そのナメラに合流する小さなカジヤ谷の急な谷底も同じ岩盤が続いていた。そういえば反対側の小山に植林された檜は何年たっても大きくならない。古老曰く、「この山は木が育たん山での、植林なんかしても無駄での」とのたまった。その小山を越した斜面は木の生長が早く、よく繁る、そこの宇名(あざな)は繁濃(シゲノウ)。そこで思い当たったんだ。稙林地は土が薄いから木が伸びない、土の薄いのは底に溶岩があるからだ。
考えてみると小板には井戸が一つもない。横穴と称して崖に小さなトンネルを水が湧き出るまで掘る、にじみ出た湧き水を集めてそれを飲料水にしていた。住民が増加するまでは4つあったとも伝えられた沼もことごとく田圃になった。小板全域で最盛期は約20ヘクタールの水田があった。梅雨時の朝靄の中の稲田は一幅の絵画だった。ところが、お盆の8月15日前後の乾期になると川の水が一気に減って水の取り合いが始まる。深入山は死火山、溶岩で出来ている、だからであった。溶岩の上には何千年か何万年かで出来た岩石や土が積もってはいるが、褶曲で出来た山々に較べると沁み込む雨水が格段に少ない、従って夏の渇水期が一月も続くと谷谷の湧き水が止まってしまう。小板の命の川、小板川も干上がりはしないが、田圃にまでは水が届かない。そこで日頃の付き合いは何処へやら、隣同士がにらみ合う。そんなことが何年かごとに繰り返されたんだ。ところが深入山の旧火口から流れ出る谷は、比較的水が切れない。これは渇水に苦しむ小板の住民には垂涎の的、悪い奴が山腹に溝を掘って盗水をした。松原の水が峠を越して小板に流れたので、峠の名前が"水越しの峠(みずこしのたお)、峠で双方の住民が鎌を持って睨みあいの喧嘩までしたと古老が話した。
1960年代に小板に開拓の話が持ち上がった。農閑期には飯を食わない、テーラーなるミニ耕運機の普及で役牛の和牛が急速に減って、堆肥の供給源がなくなると、農業の専門家が危機感をもったんだ。そこで和牛を肉用牛に転換して利用しよう、そのために草地開発をして畜産農家を育てようという事になったんだ。
その開拓事業に便乗して、全戸に水道をつけた。これが小板簡易水道の始まりである。貧しいお爺さんに「見浦さん、御蔭で毎晩新しいお湯の風呂に入れる。極楽で」と感謝されたのはこのときである。以来、小板の水不足は大いに改善された。
ところが集落外の住民が増えた。いわゆる別荘、その他である。経済的に余裕のある新住民の中に地下水を求める人が出た。掘削の機械も進化して比較的簡単に掘れるようになった。勿論、費用は高価、一般的ではないが挑戦する人が出た。そして3箇所で水を掘り当てた。深さ80メートル、50メートル、150メートル。即ち、溶岩の厚さがそのくらいあるということだ。
話がそれた。先日、テレビを見ていたら、中国地方の火山帯の分布が表示されていた。瀬戸内海の沿岸と島根県の海岸沿いに、そして二つの火山帯を結ぶブリッジ、それが湯来温泉を経て吉和、筒賀、そして細長く深入山、さらに匹見、美都、有福と島根の温泉群に続く。まさに深入山は火山だった。但し死火山(休火山かもしれない)。もっとも瀬戸内海側はいずれも加温する温泉、中国山脈に近づくほど湯温は下がり、頂上を越して日本海に迫ると再び湯温は上昇する。
ちなみに筒賀に温泉を泉源とする小さな池がある。その池では金魚が自然繁殖して様々な姿を見せてくれる。美しくないのもいてね。池の温度は年間を通じて19度で一定だとか。
深入山と前深入の間に大きな円形のくぼみがある。測って見たことはないので正確ではないが、直径が7-800メートル位の草原である。一箇所、壁が大きく切れ込んで、小板の水道の谷に水が流れこむ。この谷が深入山の唯一水が切れない谷、火口の証拠だ。湧水が切れないのは火口跡にたまった地下水が流れ出るためだと考えられる。勿論、素人の独断だから間違いかもしれないが、疑問を持たれた人は学術的に調べて欲しい。
深入山の頂上に陸地測量部の三角点がある。そこから聖湖側に少しばかり下ると板状の石が散乱している。遠足で登ったときは変な石があるなと思ったが、今考えると、この火山特有の石だったのかもしれない。
お天気の日は頂上から日本海が見える。空気が澄んでいるときは益田の沖の小島までが見える。貴方が登山を楽しむ時間を持っているのなら、是非、深入山にも登って欲しい。穏やかな表情の山の、もう一つの側面を探りながら。
2014.10.8 見浦哲弥
参考
・深入山は「約1億年前~6500万年前に噴火した火山の岩石」でできているそうです。
「日本シームレス地質図」より
・そのころの日本はまだ大陸に引っ付いていました。
『(1)日本列島の地質構造の変遷』の6ページ参照 (図中の「30Ma以前」とは「3000万年以前」という意味です。)
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