住民の不幸を分け合って助けると言う理念は、皆が持ち合わせている。しかし、若者がいないのだ。20代、30代の若者は言うに及ばず、40代の住民は我が家の若夫婦(?)だけだと言うのでは、お互いに助け合うという理念は維持できなくなったと言うことなんだ。
が、幸い、その若者が我が家族であることは、同行を最後まで続けられるということ、互助でなくても、仲間に奉仕することと視点をかえることで集落の住民が最後の1軒になるまで維持できる、その負担をするのが私の家族であることで心が休まる、他人に崩壊する小板同行を押し付けなくて幕引きが出来る、これも喜びのうちに数えることにしたんだ。
そして最後は家族葬、何時の日か小板の人口が増えることがあったら、そのとき同行を復活すればと、私のいない時代を夢見るのです。
群れとしての牛飼いにこだわった見浦牧場では、お互いに補完しあう牛達を見て暮らしてきた。集団で暮らす動物の基本は一匹では生きてゆけないが助け合うことで生き延びると言うことなのです。見浦の牛群が草を求めて群れで暮らしている姿を、「凄い」と都会の見学者が感心して見ています。
彼等が本能で作り上げた見浦牛の集団は小さいながら訴えるものを持っているのです。
2014.8.28 私より5歳も年下のN君が亡くなりました。小さな会社を経営していた彼の葬儀は、飯室の葬儀社の会館で行うということになりました。同行の一員として長年協力してくれた彼ですが、集落外の葬儀に同行の人員を派遣する先例はありません。まして同行のメンバーが老齢化して地域内の葬儀も苦慮している現状では遺族の要望に応えることは出来ません。そこで葬儀の日には世話人の私と協力人の島川君が参列して雑用をこなすことで了解を貰いました。
今回はご遺族のご了解を得てこの形で済ませそうですが、同行の有力な協力者を失ったことで、つぎの葬儀はどうこなすか対応策は苦慮しそうです。
いま小板には私より年長の人は3人、同年代が4人、他にも老齢者ばかりで、同行の幕引きが難しい。我家の若者たちが、この困難を軟着陸させられるよう、私の最後の智恵を絞ってみようと思っています。
2014.8.28 見浦哲弥
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