ラジオ体操で記憶にあるのは三国での夏休み、いまと同じように朝の体操会に参加することと決められていましたな。学校に行ってもよし、町内会の体操会に参加してもよし、ただし参加の捺印を貰うことが条件でした。私は母の許可を得て弟と二人、町内会の体操会に参加することに決めました。
会場は愛宕山、汐見の家から500メートルばかりの町屋の裏の小さな丘、頂上に広場がありましてね、そこが会場。学校の会場はそこから700メートルばかりの登りで離れていたからな。
時間になると町内会の叔父さんがラジオを大切そう(当時は貴重品でした)に抱えてのぼってくる。私たちのほかに何人かいた子供は大勢の大人に混じって懸命に体操をする。でも朝は眠くて困った。目覚めの悪い孫たちを見て昔も今もと変わらないなと苦笑する。
「お早うございます」と大声で挨拶をする。これは母から厳しく教えられたこと。始めは「お早う」の返事だけのオジサンが、終わり頃はいろいろ声をかけてくれて、嬉しくて夏休みが済んでも、愛宕山の体操会には通った。確か秋雨が降り続くようになって止めたのかな。初めて大人に存在を認められた小3の頃、懐かしく思い出す。
ところが我が子のラジオ体操は記億がない。確か15分ほど離れた分校の体操会に子供たちが通ったと思うのだが覚えがない。何しろ貧乏に追われて生活を維持することが全てだったからな。
さて、今年のラジオ体操である。メインの三人の孫たちはゲームが忙しくて夜が遅い。したがって朝が眠い。不平だらだらを、亮ちゃん(お嫁さん)が叱咤激励するのだが、言うことを聞かない。これではならじと朝の牛飼いが済んだ晴さんが(家内)曲がった腰を伸ばして参加。そうなると無視するわけに行かず私も参加。曲がらない腰を曲げ、飛べない跳躍は省略してみんなにあわす。ところが最近のラジオ体操は私の小学校の頃とは違う。皆を見ながらワンテンポ遅れたラジオ体操、それでも員数にはなる。
そのうちに、和弥も参加、律ちゃんもワン公の散歩のついでにと全員体操になった。こうなるとメインの腕白坊主達もサボるわけに行かぬ。何とか全員のラジオ体操が続いた。
真夏の早朝は小板の数少ない財産、すがすがしい深入山、流れ行く雲、そして澄んだ空気、その中での毎朝のラジオ体操は私たち夫婦に結構な贈り物になった。
もっとも、これには落ちがあって、学校が始まると子供たちがストライキ。7時半にはスクールバスがやってくるので時間がないが口実。これで見浦家のラジオ体操会は来年まで中止ということになった。
もう私たちは結構な年寄り、来年があるとは限らないが、楽しみにしている。
2013.10.7 見浦哲弥
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