翌日、雄鹿原の大工の斎藤さんが立ち寄りました。新田さんの葬式の帰りだと。
そこで初めて新田さんの死亡の原因が判明したのです。家の後ろにある雪の溶解用の池で死んでいたと。
彼との付き合いはひょんなことから始まりました。3年前、芸北の森林組合からおがくずを引き取って帰る途中、道路の真ん中でミニショベルを転倒させて悪戦苦闘している老人を見たのです。見過ごして通過するわけにもいかず、手伝ったのですが、ミニとはいえど重量物、人力ではいかんともしがたく、帰宅してタイヤローダーを走らせて起こしてあげたのです。
その次が難題の解決、小板の一番下流にある今田さんというおばあさんが住居の改修を新田さんに頼んだ。改築して40年ばかり経た家は、床下の根太の交換から始まって、修理すればきりがない。古い大工の新田さんが、ここも、ここもと修理と仕事が拡大、手持ちの貯金が底を尽き始めて娘さんから苦情が。「どこまで家にお金をつぎ込むのか、病気になっても面倒をみるのはお断り」と宣告され、工事の中止をしたいのだが、大工さんにそのことを話して解決してもらえないか、という難題。田舎は変な、それでいて難しい頼みごとが舞い込むところなのです。
自分で撒いた種、自分で解決しろというのは簡単ですが、相手が80歳を越しているおばあさんとくれば、そういうわけにもいかず、ここまでかかった費用は完成していない分も含めて支払うことを約束させて交渉した、そんなこともあったのです。
私はご存知の通り、ざっくばらんな性質、ばあさんと話し合って決めた仕事の邪魔をするのかと文句をいう新田さんに、娘さんの苦情の話をして80の年寄り、万が一病気になり娘さんが面倒を見ないということになれば、貴方の立場も難しいことになりかねない、仕事のお金は未完成の部分も含めてもらってあげるから手を引いては、と。
そして彼の出した請求書のとおりに支払いをしてあげたのです。ところが何が気に入ったのか、それから何事かがあると”見浦さん”と訪ねてくる。自動車の調子が悪いと相談にきたことや、怪我をしたからと病院に運んだこともある。子供さんが2人もいるのにね。
友人たちが「一の隣だけぇ、仕方がないの」とからかう始末、確かに6キロ離れてはいるものの、道路をたどっていけば確かに隣人でした。町村も集落もちがってはいましたがね。
最後に会った時は、「見浦さんには世話になってばかりだが、一番気兼ねがなくてね」と話していました。歯に衣着せぬ私のしゃべりも彼は裏がないと受け取っていたのでしょう。
怪我も病気も切り抜けた幸運も思いもよらぬところで切れて、想像もしない終焉を迎えてしまった。ご本人も驚いたでしょうが、妙な縁で友人?になった私にも生きることのもろさを教えられた別れでした。
2009.8.15 見浦哲弥
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