高度経済成長が始まった、池田総理の時代から、そんな田園風景が消え始めました。生活を支えるために他業種に働きに出る兼業農家が増え始め、時間を惜しんで働く、働き蜂の日本人が増えました。特に農村は、です。
時代は変わって、小板にも別荘が建ち始め、都会の人たちの姿が多くなりました。長い会社勤めから開放されたリタイヤの人たちは、自分たちと違った世界の田舎の人たちとの世間話も、田舎暮らしの一面として期待したのでしょうが、なかなかどうして、通り一遍の付き合いはあっても、深くのめりこむような付き合いは程遠い、が現状、そんな感じです。
それにつけて、何年か前、取材に訪れたアメリカ人が、話題が彼の琴線に触れたとたん、糸が切れたように話し始めた、あの場面をよく思い出すのです。たかが立ち話でも、興が乗って話し込むには、共通の話題という接点がなくては始まりません。集落の住人は、天候の話、隣人の噂、作物の出来等々、接点はいくらでもありますが、都会の人と集落の人との間には、何を話題にすればよいか迷っている、だから挨拶だけで終わりにする、そんな関係のようです。
しかし、考えてみればもったいない話で、違うエリアで暮らした隣人は、大変な情報の持ち主で、その点が理解できると、立ち話が学習の場に変わって、貴重な知識獲得の教室に変わってしまうのですが。
先日、道端で草刈をしていました。このあたりではめずらしい50馬力のトラクターを使って。普通は日本製で20馬力前後の新型なのに、当場の機械は30年、40年前の外国製、しかも作業機も外国製、操縦者は70をはるかに過ぎた老人となれば、興味を持つのが当然かもしれませんね。でも立ち止まるだけの人が大部分で、話しかけてくる人はさすがに少ない。時代のせいですか。
ふと気がつくと、圃場の縁に人が立っていて話しかけてきました。
「面白そうですね」と
「興味がおありですか?」
「いや、このあたりでは見かけない機械ですから」
「そりゃぁ、もう40年以上も前のイギリス製ですからね。」と話が弾み始めました。
「私の牧場は貧乏ですから、新品の機械は買えなくて、人がスクラップに出す程度の機械を安く手に入れて、使っています。」
「でも、修理がいるでしょう?」
「業者に依頼すると修理費が高くて、新品のほうがよくなります。ですから勉強して自分で修理するのです。」
話は次々と進んで、30分ばかり続きました。
相手の人にすれば、日ごろ手に入れることの出来ない情報の山だったでしょうね。
でも、私にしてみれば、都会の人が何に興味を持つのか、その一端を知っただけでも貴重でした。おまけに、見浦牧場の和牛のことも、少しばかり付け加えましたから、いつの日か役立つかもしれません。
たち話、ただの時間つぶしにするのも、勉強の場にするのも当人しだい。限られた時間なら有効に使ってほしいなと思っています。
2008.2.9 見浦 哲弥
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