2012年10月4日

島津先生

”山里からの伝言”読ませていただきました。
そして書架から”中国山地”(上)、”新中国山地”を探し出して読み返しました(”中国山地(下)は見あたりません。確か貸し出して帰ってこなかったのでは?)。昭和16年4月に小板に帰郷してから70年、その変遷が昨日の事のように甦ってきました。
 
夏休み毎に小板に帰郷した昭和10年頃からの広島、三段峡バス?に乗って遡った太田川流域、福井(父の勤務先が現在の藤島高校でした)とはまるで違った広島弁、そして動員で暮らした七塚原牧場、作業で何度か行った戦前の三次、庄原、原爆直前の広島での建物疎開、敗戦、見浦家の没落、進学のあきらめ、独学への挑戦、周辺の青年達との離反、電検3種、2種に合格、更に勉学の夢、小板からの脱出失敗、見浦家の再建で夢を捨てる、そんな私を見ていた変な女の子、新婚旅行もなく2人でただ働く、爾来60年。その中の50年が中国新聞のレポート”中国山地”、”新中国山地”、先生の”山里からの伝言”に重なる。
思えば新中国山地の取材の時に、「前回から20年たちましたね。出来れば20年後もこんな企画があれば中国山地の歴史になるのに」と、お話しした記憶があります、その20年後が先生の”山里からの伝言”になるのですね。
一国の興亡の歴史は多くの人の興味を引きます。しかし一地方に過ぎない中国山地の盛衰は読み物としては評価されないかも知れませんが、こんな読み方をしてみてはと思ったのです。
 
そこで考えたのが、次のストーリー。
先生方の文章と私の雑文の組み合わせると見浦牧場から異端の文字が消えるのではないかと。
 
1.中国山地(上) 多頭化の試み P189
2.中島先生    (同封の私の文章)
3.中国山地(上) 牛と生きる  P184
4.ルポ 見浦牧場 北海道チクレン
5.新中国山地   牛は学習する  P65
6.岡部先生    (私の文章) 
7.見浦牧場からのメッセージ    京大宮崎教授引率の見学会
8.金城牧場    金城牧場について
9.背負うた子に教えられ   大牧場と見浦牧場の違い
10.山里からの伝言 島津先生  和牛飼育の異端  P190
11.一貫経営のこだわり 
 
文章を書き上げた時期は違っていますが、この流れで読むと中国山地の和牛の問題点が浮かんで来ると思うのです。ただ時代に流された、だけでなく、次世代への接点が見えるのでは。
無学な一農民が送るメッセージ、少しでも説得力があればと願っています。
 
20年毎に中国山地の報告を、の約束を守っていただいて有り難うございました。
大きな組織でなく個人の力での報告、でもそれは、前回、前々回にまさるレポートでした。これは後世、中国山地を研究する人達に貴重な資料を提供する重要な記録にとなると思います。
私の限られた人生の中でお会いできて本当に良かった。有り難うございました。
 
2012.7.21 見浦 哲弥

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