2012年3月18日

文章を書く 2

取りとめのない文章を書き始めてずいぶん時間が経ちました。書きためた短文は50を超しました。時折読み返すと現在の自分があのころとは頭が鈍っているのがよくわかります。
私も例外なく終末に近付いている。書き残したいことが山積みになっているのに。

しかし、徒然とは言わないまでも、読み返すとなかなか面白い。平凡と思い込んでいた私の人生も小さいながら、山あり川あり谷ありで結構波乱万丈、こんなことは誰もが経験しているのだろうが、記録していないと石の下、物言わぬ墓となって忘れ去られてゆく。

友人のH君は老境に入り始めて自分史や小板の歴史を記録するとて、高いワープロを購入。意気込みは良かったが操作の習熟で躓いた。読み書きそろばんの教育が昔人間の彼には最新の電子機器は異次元の世界だった。おかげで高価な機械は使われずに押し入れの中、したがって、彼の記憶も体験も墓の下、もう面影もおぼろになった。

そこで登場の私の文章、目的は孫に読ませる、が気がついてみると、小板の歴史の語り部の役割も担っていた。
ところが人間は弱いもので都合のいいことは書きやすいが、後ろ向きの話は筆が進まない。「大畠は人の悪口を言う」とは若いころからの私への批判、あいつもこいつもと抗議してきた顔を思い出す。忘れてほしいだろうなと思うと筆が止まる。それでは真実の記録にはならぬと気力を振り絞るのだが弱気に。ここにも人生の終わりの兆候が出てきたような気がします。

さて、そういうことで
たとえマイナスでも、悪口ととらえられても実際に起きたことは勇気を出して書くことにします。公開するかどうかは別にして。

小板集落の記録屋としての役割も果たすことを目標に。。請うご期待。

2011.8.28 見浦 哲弥

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